兵庫県 三木の干殺しとは?三木城が曰く付きの場所と噂される理由について 兵庫県三木市の三木城跡に訪れた。戦国時代、羽柴秀吉は三木城を兵糧攻めにて攻略した。余りに凄惨な戦いだったため三木の干殺しと名付けられ、現在まで語り継がれている。故に曰く付きの場所、所謂心霊スポットとして紹介されることもある。では、三木城の歴史を詳しく見て行こう。 2020.05.19 三木市
兵庫県 姫路城の井戸と怪談・播州皿屋敷のお菊井について【兵庫】 姫路城内にある『お菊井』。この井戸は播州皿屋敷の怪談で有名なお菊井戸といわれています。1500年頃、姫路城主・小寺則職の執権・青山鉄山が家来の町坪弾四郎と謀反を画策していました。そのことを探らせようと則職の忠臣・衣笠元信がお菊を青山家の女中として送り込みます。 2018.07.16 姫路市
兵庫県 国宝&世界遺産・白鷺城こと姫路城へ【兵庫】 1545年に小寺則職が御着城が移ると家臣の黒田重隆に城を任せます。入城した黒田重隆・職隆親子によって姫山の地形に合わせた城郭が拡張されました。職隆の息子・黒田孝高の代になると織田信長の傘下に入り、羽柴秀吉と共に播磨を平定。1580年、黒田孝高は中国攻略の足掛かりとして姫路城を秀吉に譲渡します。 2018.07.15 姫路市