近畿地方

滋賀県

国宝・彦根城の歴史と井伊氏について【滋賀】

滋賀県(近江国)は京都が近く東国と西国の結び目に位置していたため重要な要所として発展しました。戦国時代の覇者たちは近江の重要性を理解していたので、織田信長は丹羽長秀や羽柴秀吉、秀吉は石田三成、徳川家康は井伊直政と名実共に優れた武将をここに配...
奈良県

信貴山城の歴史について。梟雄・松永久秀の終焉の地【奈良】

信貴山城は信貴山の雄嶽を中心として東西550m、南北700mに広がる大規模な中世山城。郭は120以上もあったとされています。戦国時代を震撼させた戦国三大梟雄の一人に数えられる松永久秀の居城で、織田信長に追い詰められた久秀が茶器・古天明平蜘蛛を抱いて爆死したという逸話の残る場所でもあります。
兵庫県

三木の干殺しとは?三木城が曰く付きの場所と噂される理由について

兵庫県三木市の三木城跡に訪れた。戦国時代、羽柴秀吉は三木城を兵糧攻めにて攻略した。余りに凄惨な戦いだったため三木の干殺しと名付けられ、現在まで語り継がれている。故に曰く付きの場所、所謂心霊スポットとして紹介されることもある。では、三木城の歴史を詳しく見て行こう。
兵庫県

姫路城の井戸と怪談・播州皿屋敷のお菊井について【兵庫】

姫路城内にある『お菊井』。この井戸は播州皿屋敷の怪談で有名なお菊井戸といわれています。1500年頃、姫路城主・小寺則職の執権・青山鉄山が家来の町坪弾四郎と謀反を画策していました。そのことを探らせようと則職の忠臣・衣笠元信がお菊を青山家の女中として送り込みます。
兵庫県

国宝&世界遺産・白鷺城こと姫路城へ【兵庫】

1545年に小寺則職が御着城が移ると家臣の黒田重隆に城を任せます。入城した黒田重隆・職隆親子によって姫山の地形に合わせた城郭が拡張されました。職隆の息子・黒田孝高の代になると織田信長の傘下に入り、羽柴秀吉と共に播磨を平定。1580年、黒田孝高は中国攻略の足掛かりとして姫路城を秀吉に譲渡します。