東京都田無市から始まる吾野通りは、所沢、入間、飯能、吾野を経て秩父へに入る街道である。
明治時代に秩父鉄道が敷設されるまで、秩父で生産された絹糸や織物などは標高760mの秩父の難所・旧正丸峠を越えて江戸に運ばれていた。
現在の正丸峠は1936年(昭和11)に自動車が通過出来るようにと開通されたものだが、雨や雪にめっぽう弱く全面通行止めになることが多かったと云う。
1982年(昭和57)、峠の山腹に正丸トンネルが穿たれたため、その役目を終え、ひと気の少ない寂しい峠道となった。
正丸峠についての記述
正丸の由来が気になったので調べてみたが、残念ながらわからなかった。
1830年(文政13)に完成した新編武蔵風土記稿に正丸峠について記述があったので紹介しよう。
小丸峠
東ノ方南川村界ノ峠ナリ
コナタノ麓ヨリ廿町餘道幅三尺ヨリ六尺ニ及ベリ盤回シテ難所ナリ秩父街道ノ一條ナリ新編武蔵風土記稿 蘆ヶ久保村より
南澤峠
一ニ小丸峠又ハ秩父峠トモイヘリ秩父街道ニテ當村ト蘆ヶ久保ノ界ナリ東ノ方ヨリ登ルコト十八町餘新編武蔵風土記稿 南川村より
“正丸”ではなく”小丸”と書かれていた。
南澤峠、秩父峠とも呼ばれていたようだ。
90cmから180cmとかなり狭い峠道で、交通の難所であったと記されている。
正丸峠は心霊スポット?
正丸峠は埼玉県の心霊スポットの中でも五指に入るほど恐怖度が高い場所だと噂されている。
しげの秀一 氏の漫画・頭文字Dをお読みになった方なら御存知だと思うが、ここは走り屋の人気スポットだった。
私が訪れた際も、いかにも車が好きそうな方々が集い、話に花を咲かせていた。
今現在、走り屋が活動しているのかどうかはわからないけれども、峠道のガードレールがボコボコに変形していたところを見るに、死亡に至らないまでも事故は多発していたのではないだろうか?
過去の新聞を調べると2001年(平成13)、暴走車が対向車線のオートバイ運転手を転倒させ死亡させる事故が発生していたことが判明した。
トラックの下から白骨化した遺体が
交通事故に関する新聞記事は1件しか探し出せなかったが、心霊の噂に関係するような事件を数件見つけたので、紹介しよう。
2005年(平成17)、山林に放置されていたトラックの下部から人間の頭蓋骨が発見された。
地元の住民によるとトラックは1973年(昭和48)頃からあったと云い、正丸峠に続く道路から転落したのではないかとされている。
約30年間もの間、誰にも見つかることなく放置されていたのか、或いはトラックとは何ら関係の無い死体が後になって隠されたのか?
詳細は不明である。
100匹のペットの遺骸が
2010年(平成22)、正丸峠の道沿いの崖下に犬や猫およそ100匹の死体が遺棄されているのが見つかった。
動物用の洋服を着たままだったり、白骨化していたり、野生動物に食べ散らかされたり様々だったと云う。
犯人はペット葬儀業者の男で、引き取った遺体を火葬せず、ここに処分したそうだ。
男は以前にも畑でペットの遺体を焼いて騷動になったこともある…。
宮崎勤と正丸峠
1988年(昭和63)から1989年にかけて起きた『東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件』。
犯人の宮崎勤は3人目の被害者を埼玉県川越市で誘拐した後、正丸峠の途中にある駐車場で絞殺し、遺体を同県の名栗村の山中に遺棄した。
全国を震撼させた凄惨な事件だったために宮崎勤に纏わる場所は心霊スポットとして見られることが多い。
いつから正丸峠に心霊の噂が流れ始めたのかは知らないが、この事件が少なからず関与していることは間違いないだろう。
終わりに
峠の道中に小さな石像が安置されている。
烏帽子をかぶっているように見えるが、馬頭観音か?
事故で亡くなった方を弔うために建てられたものかと思ったけれども、それなりに歴史を感じさせる雰囲気が見て取れる。
もしかしたら、峠の道祖神的な石像だったのかもしれない。
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