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餃子の街・宇都宮市の中枢にあった宇都宮城の歴史について【栃木】

宇都宮城

餃子の街、宇都宮。

その中枢にあった宇都宮城は戊辰戦争による焼失と都市開発によってほとんど遺構が残っていません。よって宇都宮城跡にある土塁や櫓は復元されたものです。

現存天守や遺構が多く残る城跡から比べると若干の見劣りするのは否めませんが、復元土塁の中に設置された『宇都宮城ものしり館』でその歴史をしっかりと伝えていこうとする意志を強く感じます。

いちのまる
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係のおじさんが中学生くらいの子供に一生懸命宇都宮城について教えていたのが印象的でした。子供もしっかり話を聞いていたみたいです。見ていてほのぼのした気分になりました。

今回は宇都宮城の歴史について見ていきましょう。

 

宇都宮城へのアクセス

宇都宮城

宇都宮ICや鹿沼ICを下りて宇都宮市街地に向かいます。少し入り組んだところにあるのでカーナビで宇都宮市役所、もしくはgoogle mapで宇都宮城を検索して向かった方がいいです。

駐車場は宇都宮城址公園駐車場が便利です。

電車なら東武宇都宮駅が近いです。JR宇都宮駅からバスが出ているようです。歩いていけないことはないですが少し遠いかな。

 

宇都宮城と宇都宮氏

宇都宮城

宇都宮城は平安時代後期に藤原秀郷もしくは藤原宗円が築城したと伝わります。藤原秀郷は平将門を討ち取ったことで有名な武将です。

鎌倉時代から安土桃山時代までの約500年間、宇都宮は藤原宗円を祖とする宇都宮氏によって治められました。

宇都宮氏には、

・百人一首のきっかけを作った5代・頼綱

・楠木正成と対等に戦い関東武者の恐ろしさを知らしめた9代・公綱

・宇都宮氏の最盛期を築いた17代・成綱

など詳しく調べたら面白そうな人物が数名います。

 

宇都宮氏の滅亡

宇都宮城

宇都宮氏が滅亡したのは22代目・国綱のとき。

当時の関東地方は豊臣秀吉の小田原征伐によって混乱状態に陥っていました。周囲が後北条氏の味方に付くなか宇都宮国綱は秀吉と手を組み、忍城攻めなどに参陣しています。

その後、九戸政実の乱や朝鮮出兵(文禄の役)にも参戦。豊臣姓を下賜されるくらいに認められていた国綱ですが、突然改易されてしまいます。原因は定かでありませんが豊臣五奉行の浅野長政が関係しているのではないかといわれています。

何度も再興を目指しましたが夢叶わず死去。子孫は水戸へ移り明治維新まで水戸藩の家臣として仕えたそうです。

 

本多正純と宇都宮城釣天井事件

宇都宮城

現地案内板より

宇都宮氏が改易されたあとの宇都宮城には様々な譜代大名が出たり入ったりしています。一人ひとり取り上げていくのは難儀ですので、ここでは宇都宮城釣天井事件で有名な本多正純についてだけ触れておきます。

本多正純は徳川家康の重臣・本多正信の長男です。自身も初期徳川政府(江戸幕府)の中心人物でした。徳川家康、父の正信が相次いで亡くなると2代将軍・徳川秀忠の側近として仕えます。下野宇都宮藩15万5000石を拝領し城や城下町の大改築を行いました。現在の宇都宮市の基盤はこの頃に出来たとされています。

実際に正純がどのように振舞っていたのかはわかりませんが、徳川家康の時代から重要な人物として活動していたため発言力は凄まじいものだったと思われます。それ故に秀忠政権ではあまりよく思われていませんでした。

 

宇都宮城釣天井事件とは

宇都宮城

徳川秀忠は日光東照宮(家康の墓)にお参りに行きました。その帰りに宇都宮城で一泊する予定でしたが江戸から『寄らずに御戻りを』と伝達がきます。理由は宇都宮城に不備があるというものでした。秀忠は宇都宮城には寄らず他の城で一泊して江戸に帰りました。

後日、秀忠は正純に使者を送り嫌疑をかけます。その中に『宇都宮城に釣り天井を設置して秀忠を暗殺しようとしたのではないか?』という問いがありました。正純は幾つかの質問に正しく答えることができず宇都宮を召し上げられ減封されてしまいます。

納得できない正純は新たに拝領された出羽由利郡5万5000石を辞退。これが秀忠の逆鱗に触れて流罪に処されます。出羽横手(秋田)に流され生涯そこで暮らしました。

本当は宇都宮城釣天井なんてなかったのでしょう。正純はでっち上げに近い罪を着せられ追放されたということです。前述したように秀忠政権で邪魔な存在になっていました。また大久保長安事件(詳細は割愛)で本多正信、正純父子が暗躍したことに恨みを抱いた人物がいたことも理由の一つだと思われます。

 

その後の宇都宮城

宇都宮城

幕末、明治期の戊辰戦争で宇都宮城と城下町は戦場となり、ほとんどの建物が焼失してしまいます。

そして残った遺構も都市開発により無くなってしまいました。

 

終わりに

宇都宮城

いちのまる
いちのまる

宇都宮といえば餃子ですね。

戦時中に中国で本場餃子の作り方を覚えた人々が宇都宮で餃子を提供したことから始まったそうです。また餃子の原料の小麦や白菜が栽培しやすかった土地柄だったから流行ったともいわれています。

日本一餃子消費量の多い都市というところに目を付けた宇都宮市の職員は餃子を観光PRとして利用しました。

狙いは当たり『餃子=宇都宮』といわれるほどに有名になりました。

おしまい!

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