鹿児島市東千石町にあるザビエル公園。
フランシスコ・ザビエルが日本に来航して400年経った記念に造られた公園であるが、どういう訳か心霊スポットとして知られている。
なんでだろう?
その歴史を振り返ってみよう。
ザビエル公園の場所
鹿児島市電の天文館通か高見馬場が最寄りの駅。
ちなみに私は鹿児島市コミュニティサイクル『かごりん』を利用した。
ザビエル公園の歴史
江戸時代、ザビエル公園がある東千石町には『千石取り以上の武士達が住む武家屋敷』があった。
所謂上級武士がこの辺りを闊歩していたのだろう。
1908年(明治41)にエミール・ラゲ神父がザビエルの功績を称えて石造りの記念教会を建てた。
鹿児島と太平洋戦争
1945年(昭和20)4月8日午前10時30分。
鹿児島市はアメリカ軍の空襲を受けている。
・死者 587人
・負傷者 424人
・被災戸数 2593戸
この空襲で記念教会は焼失してしまった。
1949年にフランシスコ・ザビエル来航400年記念で造園。
そして、現在に至る。
ザビエル公園と心霊
ザビエル公園と心霊を結びつけるものは何か?
歴史を見る限り太平洋戦争末期の空襲しかないように思える。
教会が焼失した際にどれだけの被害があったのか不明だが、以下の文を見つけた。
この空襲による被害は投下爆弾の直撃によるもののほか、爆風、飛散した破片によるもの、家屋倒壊及び倒壊に伴う火災、防空壕の崩壊による生き埋め、などであり、死傷者は無残な姿であった。
とある。
ただ、空襲は東千石町だけに限らず鹿児島市内の広範囲で行われており、これが原因でザビエル公園が心霊スポットになったのであれば、もっと具体的な情報があってもいい気がする。
例えば『空襲時に多くの礼拝者がいて戦災にまきこまれた』とか『教会なら爆弾は落とされないだろうと住民が集まり悉く焼き払われた。』とか。
でも、そういう話は聞かない。
九州には殉職者関連の心霊スポットも多いのでその線も疑ったが、ここは殉教地やキリシタン墓地では無いので、これも違うだろう。
終わりに
心霊を扱う他サイトを拝見すると『血だらけの女性の霊』が出ると書いてあった。
鹿児島市照国町にある集合住宅の1室で21歳の妻が50歳の夫にメッタ刺しにされた殺人事件が発生した。
夫は『妻を包丁で50か所ほど刺した』と自ら110番。
警察官が駆けつけたところ、女性が血まみれで倒れ、そのそばに男性が立っていた。
※G-Searchデータベースサービスで当時の新聞記事を見つけた。
この事件はザビエル公園からそれ程離れていない場所で起こっている。
血まみれの女性という共通点があるね…。
ザビエル公園がいつから心霊スポットと言われるようになったのか知る由も無いが、もしかしたらこの事件が関係しているのかもしれない。
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