佐倉藩初の腑分け(人体解剖)の地、江原刑場跡へ

江原刑場跡

佐倉城跡から北西1km先に旧佐倉藩の処刑場跡がある。

江原台一号公園の片隅に南妙法蓮華経の髭題目が刻まれた石碑がひっそりと安置されていた。

太陽の照った真昼間にも拘らず生い茂る木々によって薄暗く、冷ややかな空気が流れる少々不気味な場所だった。

どのような歴史のある刑場なのだろうか?少し調べてみよう。

 

江原刑場跡の歴史

江原刑場跡

現地案内板によると、この慰霊塔は1796年(寛政8)に諸宗の寺院が建立したものとある。

付近には首洗井戸があると書かれていたが、説明は1982年(昭和57)のものなので情報が古い。

道路の対面の竹藪の内にある小さな池が首洗井戸の名残だと写真付きで紹介するサイトを見つけた。

しかし現在はその面影なく、どうやら宅地化が進められているようで、私が訪問した時は殆ど更地になっていた。

 

佐倉藩初の腑分けの地

江原刑場跡

江原刑場は佐倉藩で初めて腑分け(解剖)が行われた場所との事。

1843年(天保14)、民之助と云う無宿人が死刑判決を受けると藩医・鏑木仙安が人体解剖の許可を願い出た。

そして友人の小柴百之、広瀬元恭と共に刑死者の腑分けを行った。

これは全国で11番目の腑分けにあたる。

 

終わりに

江原刑場跡

私がいつも参考にさせていただいている『江戸時代の刑罰施設』が江原刑場に纏わる話を出典を交えて幾つか紹介している。

孫引きになってしまうので詳しくは載せないが、その中に『江原刑場は江戸中期ごろに鹿島川沿いに移設され使われなくなった。』という気になる記述があった。

いちのまる
いちのまる

気になる方は上記のサイトをお読み下さい。
刑場に関する情報が詳しく紹介されているので、刑場系の記事を執筆する時は毎回参考にさせていただいております。

※追記
『江戸時代の刑罰施設』は閉鎖されてしまったようです。

恐らくこれ以上の目ぼしい情報は出てこないような気もするが、何か新しい発見があれば追記しようと思っている。

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