利根川と江戸川の分岐地点に位置する中洲状の地形。
利根川に並行して走る名も無き道に脇に南妙法蓮華経を刻まれた厳かな石碑が見えた。
どうやらこの場所は関宿藩の処刑場があった場所らしい。
殆ど情報は残っていないようだが、わかる範囲で紹介しようと思う。
関宿藩処刑場跡の歴史
正面には南妙法蓮華経の題目が刻まれている。
石碑側面には『享和元年辛酉素秋上澣日(1801年の秋上旬)』とあるが、処刑場が設けられた時期ははっきりしていない。
また、実際に刑が執行された場所は利根川河岸であり、ここは落とされた首が運ばれ埋葬した場所だとも伝わる。
私がいつも参考にさせていただいているサイト『江戸時代の刑罰施設(閉鎖)』に関宿藩処刑場跡(納谷の首切塚)についての記載があった。
“1973年発刊、奥原謹爾著『関宿志』”という書籍に逸話などが紹介されているようだ。
孫引きになってしまうのでここでの紹介は控えさせていただく。
難しいとは思うけれども、もし『関宿志』を読むことが出来たならば当サイトでも引用しようかと考えている。
終わりに
各藩に処刑場はあったし、更に過去に遡って小規模な豪族が土地を治めていた時代にもそれぞれの領地に処刑場があったのだろう。私の生まれ育った村にも『昔の殿様が処刑好きで首を討ち捨てた場所がある』なんて噂があったりしたものだ。
私は心霊スポットのサイトを運営しているが、どちらかと言えば霊に対して懐疑的な態度を取っている。ただ、刑場と言われると少しばかり構えてしまうのは何故だろうか。
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