こんぶくろ池にまつわる2つの伝説と戦争史跡・柏飛行場の遺構について

こんぶくろ池

千葉県柏市にある『こんぶくろ池』。

こんぶくろ池自然博物公園北部にある小さな湧水池である。

つくばエクスプレス柏の葉キャンパス駅を下車し、駅前ビル群の間をすり抜けると区画整理によって更地にされた土地が広がり始める。

やがてこの更地にも高級住宅地、若しくは商業施設が建つのであろう。

こんぶくろ池自然博物公園は歴史的、自然的な価値を後世に残すため住民やNPO団体、自治体によって保全計画が進められている。

 

こんぶくろ池へのアクセス

こんぶくろ池

最寄りの駅は柏の葉キャンパス駅。

こんぶくろ池自然博物公園は駅から600m程の場所にあるのだが『こんぶくろ池』まではそこから1km先にある。

柏の葉キャンパス駅から徒歩で20分程で到着する。

現地に案内板があるので迷うことは無いと思う。

 

 

こんぶくろ池の由来

こんぶくろ池

名前の由来は『こんぶくろ』に似ているから。

『こんぶくろ』とは米や豆を入れる布袋のことを指す。

現物を見たことが無いので正確な事は言えないが、小さな丸い袋だそうだ。

小袋池や米袋池が転訛して『こんぶくろ』になったと云う説もある。

現地案内板によると、

こんぶくろ池が歴史上の文献に記述されたもので、寛政期(一七八九年~)に書かれた高田台牧一件(流山市史近世資料編Ⅱ)には『子袋池清水 壱ヶ所小袋池ハ夫ヨリ南青田新田御林入込同埜地之内』という記述があり、青田新田のもつ御林の中にあり、こんぶくろ池は江戸時代三百年間、常に林内にあったと考えられている。

こんぶくろ池・平成の『みお浚え』より一部引用

 

こんぶくろ池の伝説

こんぶくろ池

柏市のHPに『こんぶくろ池』に纏わる伝説が2つ紹介されていたので、紹介する。

昔々、里人は農作業に疲れると喉を潤すため水を飲みに池へ赴いた。
人間だけでなく放牧されている馬、野生の鹿や兎たちも集う大層平和な池だったと云う。

或る時、畑仕事をしていた若者がいつものように水を飲みに行った。
余りに喉が渇いていたため、池に顔を付けて夢中に飲んだ。

その時、池が錦色に輝き始め、驚いて顔を上げると目の前に美しいこんぶくろ(きんちゃく)が浮かんでいた。

珍しいこともあるものだと手に取ってみようとしたが、どうしてか取ることは叶わなかった。

里へ戻り皆に話すと、

“それはきっと米を生むふくろだんべ・・・・・・。”

“いや、それは子を生むふくろだんべ・・・・・・。”

噂は忽ちに流布され、いつの頃からかこんぶくろ池と呼ばれるようになった。

『こんぶくろ池』からの湧水は農業用水として利用され、実際に米が育ち里が栄えた。

里人にとって重要な池だったと分かる物語である。

 

こんぶくろ池

昔々の事。

正連寺の里に貧相な僧侶が現れて言った。

『私はこんぶくろ池の主の使徒である。近いうちに手賀沼の主が私共の池にいらっしゃることとなった。池を濁されては困るので、これからは池の鰻を採らないで欲しい。もし約束してくれるならば、田畑に豊かに実らせよう。約束してくれないなら米の一粒も取れない田畑になってしまうだろう。』

その場を立ち去った僧侶の跡をこっそりと付いて行くと、こんぶくろ池の辺りで消えてしまった。ボチャンと水音が聞こえたため目を凝らすと池に大きな鰻の顔が沈んでいくのが見えた。

里人らは訝しがったが、畏れの心持強く皆で鰻は採らないと約束した。

すると、その年の秋から豊作が続き、里人の暮らしは次第に潤い始めた。

これは池の主の御加護だと人々は信じ約束を守り続けた。

正連寺の人々は祖先の決め事を今でも守り鰻を食べないと云う。

これも1つめの伝説と同様で池の大切さを現した物語だと感じる。

鰻が池の主となっているのにはどのような意味があるのかはわからない。

鰻が神様として信仰されている例は他の地域にもあるようだ。

『鰻の乱獲を禁止するために創作された伝説かもしれない?』と思ってみたりする。

写真の祠は建立されてからそれ程時を経ていないとの事。

 

弁天池へ

こんぶくろ池

『こんぶくろ池』から少し離れた所に弁天池がある。

弁天の由来は記されていなかった。

この湧水池の流れは『こんぶくろ池』と同様に大堀川を経由し手賀沼へ注ぐ貴重な源流となっている。

いちのまる
いちのまる

祠の中に赤い弁天様がいらっしゃいます。こちらはNPO法人『こんぶくろ池自然の森』の工芸・彫刻班の方が彫られた作品です。ちょっと前までは空の状態だったようです。

 

こんぶくろ池自然博物公園と戦争史跡

こんぶくろ池

『こんぶくろ池』の西に位置する柏の葉公園は柏飛行場の跡に造園された。

柏飛行場は1938年(昭和13)から1945年(昭和20)まで存在した大日本帝国陸軍の軍用飛行場である。

こんぶくろ池自然博物公園内にも戦争史跡が幾つか残っていた。

上の写真は掩体壕(えんたいごう)跡。

掩体壕は人員や物資、装備品などを攻撃から守るための施設。
公園内に残る掩体壕は屋根の無い無蓋掩体壕と呼ばれるもの。

柏飛行場には6ヶ所の掩体壕があり4ヶ所は開発によって破棄され残る2ヶ所はこんぶくろ池自然博物公園内に保存されている。

 

こんぶくろ池

写真右側の森の中には、かつて秋水燃料庫があった。

秋水は太平洋戦争末期に陸軍と海軍が共同開発を進めた戦闘機。
開発が間に合わず実戦で使用されることは無かった。
特攻兵器として使われる予定だったそうだ。

秋水燃料庫は5号基まであり4、5号基は開発のため撤去、1~3号基はこんぶくろ池自然博物公園内にあったためそのままの形で地中に埋められている。

案内板はあるもののどの戦争史跡も何処に何があるのか判りづらいのが残念であった。

 

終わりに

こんぶくろ池

『こんぶくろ池』には心霊スポットの噂があるようだが、根拠は何だろうか?

池に纏わる2つの伝説から暗い過去は見られず、むしろおめでたい話である。

柏飛行場は「帝都」防空の第一線の航空基地となり、第五戦隊の他、第八七・第一・第一八などの飛行戦隊が入れ替わり立ち替わり配置され、太平洋戦争末期には疾風(四式戦)、五式戦などの新鋭機が米軍大型爆撃機B29の邀撃(ようげき)に飛び立ちました。そして、その一部は、振天制空隊としてB29に対する体当たり攻撃を敢行しました。

柏市HP 柏の軍事基地より

戦争史跡はその性質上、心霊の噂が流布される可能性が非常に高い。

米軍のB29を迎撃するため柏飛行場から戦闘機が出撃したが、再び戻って来ることはなかったと紹介されていたりする。

こんぶくろ池自然博物公園、柏の葉公園は大日本帝国陸軍の飛行場跡である。戦争遺跡は負のイメージが強いため、また実際に何らかの被害に遭って亡くなった方がいるため、幽霊が出没すると聞き及ぶ。
いちのまる
いちのまる

もし戦争遺跡を根拠とするなら↑くらいの説明が欲しいところだね!
でも、心霊の噂が流れているのは『こんぶくろ池』そのものなんだよね…。

他に考えられるとしたら水難事故か?

過去の新聞を少し漁ってみたが、この池で死亡事故が起きたという記事は見つけられなかった。

納得のいく根拠が見つからなかったため引き続き調査しようかと思っている。

コメント

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