事故多発現場・呼塚交差点へ!名前の由来とその歴史について

呼塚交差点

千葉県柏市の呼塚交差点は交通量が多く渋滞や事故の多発する交通の難所である。

千葉県警が発表する『交通事故多発交差点』で毎年のように名を連ねている。

自動車同士の軽度な事故が大半であるが、稀に歩行者やバイクを巻き込む大事故も発生しているようだ。

事故が先か、霊が先か分からないけれども、ここには幽霊出没の噂がある。

事故以外にも何か原因はあるのだろうか?ちょっと探ってみよう。

 

呼塚交差点の場所

呼塚交差点

柏駅から約1kmの距離にある。

ゆっくり歩いて15分程か。

周囲に幾つかの有料駐車場が点在しているので自動車でも問題ない。

まぁ、わざわざ訪れる物好きもいないだろうが…。

 

呼塚の歴史

呼塚交差点

呼塚は『よばつか』と読む。

いちのまる
いちのまる

読めそうで読めない漢字だね!

この辺りは小金牧と呼ばれる軍馬を育成するための放牧地であった。

大昔、馬が大好きな若者が住んでいた。
若者が牧で馬を呼ぶと雑木林から野飼いの馬たちが彼の下に集った。
異彩を放つ立派な栗毛の馬が一頭、若者に近づいてきた。
たちまち二人は仲睦まじい関係となり、若者を背に乗せ野原を駆けるようになった。
ある時、町のお偉いさんが彼らを見つけ『その馬を鎌倉殿に献上したい。』と申し出てきた。
若者は初め戸惑ったが栗毛の馬の将来を考え献上する事に決めた。
栗毛の馬は殿の寵愛を受け幸せに暮らし、合戦では大いに活躍し世間に名を轟かせた。
やがて、歳を取った馬を憐れんだ鎌倉殿は『故郷で静かに余生を過ごさせてやろう。』と小金牧に放してやった。
そして、栗毛の馬は寿命を迎えた。
里人らは『あの美しい馬は鎌倉殿の馬に違いない!』と穴を掘って丁重に葬った。
若者が馬を呼んだ場所を『呼塚』、馬が葬られた場所を『高塚』と呼ぶようになったと云う。

文中の鎌倉殿は源頼朝の事。

栗毛の馬は宇治川の戦いで名馬・磨墨(するすみ)と先陣争いを演じ勝利した生食(いけづき)である。

伝説の域を出ない物語だが、美しい地名の由来である。

 

近世の呼塚

呼塚交差点

呼塚交差点から北西に900m程のところに呼塚河岸と呼ばれる船着き場があったそうだ。

船は成田詣や佐原・銚子方面へ往来する人々や農作物の輸送に利用された。

幕末期に建立された船着き場のシンボルだった常夜燈は場所を移して現在も近くに安置されている。

 

終わりに

呼塚交差点

昔、ここに霊園があったと紹介する者もあるようだが、何を根拠にそのようなことを言っているのであろうか?

過去の航空写真を眺める限り墓地のような場所は見当たらない。

本当に幽霊が出るかどうか私には解らないけれども、心霊の根拠は昔の因縁云々とかではなく事故多発の事実が発端になっているのだと思う。

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