ダイアナ研究所とは?人体実験が行われたと云うが、そんな馬鹿な話が…

ダイアナ研究所

埼玉県深谷市にあるダイアナ研究所と称される廃墟へ足を運んだ。

ここでは人体実験が行われていたなどという、まことしやかな噂が流れている。

それ故か心霊スポットとしても知られるようになり、招かざる客が大勢押し寄せるようになった。

結論から申し上げると噂されているような曰く付きの施設ではない。

 

ダイアナ研究所の歴史

19601128(昭35)

出典:国土地理院/空中写真を切取・編集引用(1960/11/28(昭35)撮影)

1960年(昭和35)にはダイアナ研究所の前身である建物は存在しない。随分と昔からこの土地は開発されずに残されているようだ。古墳か城跡でもあったのではなかろうかと気になり辺りの歴史を簡単に調べてみた。

ここから北東500m程の距離に仙元山と呼ばれる丘陵があり、南北朝時代には既に存在していたと考えられている浅間神社が鎮座する。

室町時代、この神社は人見館(上杉館)の鬼門に位置していたので、館鎮護としてまつられた。深谷城を築造した上杉房憲は、南麓に昌福寺を開基したが、四代後の氏憲もこの社を崇敬し寄進状の中の富士山とは当社のことである。

浅間神社 案内板より

引用文中の人見館(上杉館)は平安時代末期に一帯を支配した人見氏によって築かれたと伝わる。室町時代後期に人見氏が丹波国へ移った後、深谷城を築城した深谷上杉氏がこの館も改修したと云う。土塁と空堀の遺構が残るが、素人目には殆ど判別出来なかった。

人見館跡とダイアナ研究所との距離は約150mだが、館の縄張りとダイアナ研究所の敷地は被っていないため、恐らく両者に関連性はないだろう。

いちのまる
いちのまる

開発されなかった理由は何だろうか?神社や寺の土地だったからとか色々考えてみたけれど、結局分からず終いです。

 

19640510(昭39)

出典:国土地理院/空中写真を切取・編集引用(1964/05/10(昭39)撮影)

1964年(昭和39)。建物が建った。

建築年は1960年(昭和35)~1964年(昭和39)だと分かる。

ダイアナ研究所の前身については残念ながら正確な情報は残っていない。

断片的に残る情報をまとめると↓のような感じらしい。

結婚式場(或いは宴会場とも)

外国人を受け入れる施設(宿泊施設?)

愛心会のダイアナクラブ福祉大學社会福祉研究所(福祉関係の研修所?)

廃墟

YouTuberのMSレッドカーペットさんが現地で聞き取り調査を行っている。

御覧いただければ理解出来ると思うが、幽霊の噂と全く縁のない場所だと分かる。

こちらの動画は深谷市に縁深いTwitterの相互フォロワーさんから教えて頂いた。因みに相互フォロワーの方は『ダイアナ周辺で失踪・誘拐・殺人や遺棄などもない。』と仰っていた。

初めは地元の中高生が肝試し感覚で訪れくらいであったが、徐々に噂が広がり、ネットで一気に情報が拡散されてしまったのだろう。

 

ダイアナクラブ福祉大學社会福祉研究所とは?

ダイアナ研究所

『愛心』『ダイアナクラブ』『福祉大學』

これらでネット検索すると愛心会という団体のHPに行き着く。HPに沿革などが記載されているがダイアナ研究所については一切触れられていない。MSレッドカーペットさんの動画で女性の方が話されている通り、ここは愛心会が運営する福祉関係の研修所だったのだろう。

この辺りについて更に詳しく知りたい方は御自身で不動産登記簿を取得してみるといい。土地の登記簿なら登記簿情報提供サービス(有料)で取得可能である。建物の登記簿は取得出来なかったので、管轄の法務局に行く必要がありそうだ。

 

終わりに

ダイアナ研究所

当然、ダイアナ研究所は立入禁止である。

警察の巡回や住民の警戒がかなりシビアなので侵入は全くおすすめ出来ない。

昨今、廃墟の不法侵入の取り締まりがより厳しくなっている。以前なら注意されるだけで済んだかもしれないが、今後はそうはいかないだろう。

よいこは外から眺めるだけで満足しよう。

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