山梨県富士吉田市の上暮地にある寿駅。
縁起の良い駅名に肖って干支の記念入場券や祈願入場券が販売されている。ただし寿駅は無人駅で販売機すらないため現地での購入は出来ない。欲しければ富士急行線の各有人駅に赴くかオンラインショップを利用する必要がある。
寿駅入場券が販売されている『富士急のりもの百貨店』のホームページリンクを貼付しておくので、気になる方は↓を御覧あれ。これは眺めているだけでも楽しい。
さて、本題。
当サイトで取り上げたということは、寿駅には当然心霊スポットの噂が存在する。
鉄道駅に幽霊の噂がある場合、大方自殺か列車事故が原因になっているのだが、ここもそうだろうか?
それでは、寿駅の歴史を振り返ってみよう。
寿駅の歴史
1929年(昭和4)6月19日、富士山麓電気鉄道の大月駅~富士吉田駅間開通と同時に開業。
元々は暮地駅という名称だったが、1981年(昭和56)に寿駅に改称された。
開業当時は「暮地」という名前でしたが「墓地」と似ていることから、今後の発展を祈りおめでたい名前「寿」に改称されました。
これだけ読むと駅のためだけに『寿』の字が与えられたかのように読み取れるけれどもそうではない。
当地が富士吉田市に編入する際に設置された自治体『寿町』が先である。編入は1960年(昭和35)なので、『寿町』が成立してから凡そ20年間は暮地駅のままだったのだ。
恐らくは『折角めでたい地名があるのだから駅の名前も改称したらどうか?』といった意見が出たのではないだろうか。
因みに『暮地』の由来は↓
西へ高山ヲ負ヒ其山足ニ人家連リタレバ日光早ク暮ルヽ故ニ暮地ト名ツケシナルヘシ
甲斐国志 第18巻 上暮地村より
また、甲斐国誌より古い日蓮上人註画讃にも暮地(呉地)の記述がある。原文を引用しようかと思ったが変体仮名が読めなくて諦めた。
体調を崩した日蓮が周囲から湯治を勧められて身延山から常陸国(茨城県)へ向かう道中に『呉地』を通った。寿駅の北東に日蓮が宿泊したと伝わる御越山遠妙院(呉地の宿跡)が残る。日蓮はこの旅の道中に病状が悪化して入滅した。
終わり
1971年(昭和46)3月4日朝、月江寺駅付近の踏切で二両編成の列車と小型トラックが衝突。
ブレーキが破損した列車は為す術もなく下り勾配を暴走し始めた。
月江寺、下吉田、葭池温泉前、暮地(寿)の4駅を無停車で通過し暮地駅(寿駅)から約300m先の大カーブで脱線。一両目は脱線だけで済んだが、二両目は中央部から『くの字』に折れて横転してしまった。
この事故によって乗客約120名の内、70名程が重軽傷を負い、17名が死亡した。
現地には慰霊碑が安置されている。線路沿いにあって関係者以外の立ち入りは不可である。
実際に幽霊が出るかとどうかは知らないけれども、幽霊の噂の根拠はこの事故に違いない。
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