御神木を伐採すると祟られる?!初鹿野諏訪神社へ

初鹿野諏訪神社

JR甲斐大和駅から徒歩2~3分のところにある初鹿野の諏訪神社(日向宮)。

この神社の本殿の裏手には御神木のホウの木が生えているのだが、どうやら古くからの曰くがあるらしく、旧大和村教育委員会の掲げる諏訪神社の説明板に以下のように記されている。

古来からこの神木を疎かにすると、不詳の事件が起きると信じられているので、神意に逆らわないようにしている。

諏訪神社 大和村教育委員会(平成元年三月建立)より

さて、どのような歴史のある神社なのだろうか?

詳しくみていこう。

 

初鹿野諏訪神社

諏訪大社と縁のある神社なので御祭神は建御名方命(タケミナカタ)。

古事記によると建御名方命は国譲りの場面で建御雷神(タケミカヅチ)に力比べを挑んだが敗北し諏訪に追いやられたとある。日本書紀にこのシーンはないようだ。

強者に果敢に挑んだことから軍神として知られている。武田信玄を輩出した武田氏は諏訪信仰と深い関わりがあり、信玄は諏方神号旗を掲げて出陣するほど信心深かったという。

因みに建御名方命を破った建御雷神は鹿島神宮の御祭神で、こちらも軍神として祀られている。鹿島は神宮で諏訪は大社。この辺りの歴史も興味深いが、話が脱線し過ぎるので割愛。

 

初鹿野諏訪神社

古書に曰く、神代建御名方命、諏訪より當地に巡狩せられけるに、供奉の臣中足痛の者を出し、困苦甚だし、里人蘆茅を以て日向に一宇を結びて、治療を奬めたるに、日を經て茅屋の傍に忽然として温泉湧出せり、よつて供奉の臣浴し見るに足痛立どころに治癒す、依つて狩し給ひ初めて鹿を獲させられたる故に、初鹿野郷の名を賜ひき、里人茲に一宇を建てゝ祀る、是れ當社の起源なりと。其温泉明治四十年頃迄湧出したりしが、大出水の際埋沒せられて、今は湧出せず。

1916年(大正5)発行 東山梨郡誌 諏訪神社より

現地の案内板にも似たような文言が書かれていた。

伝説とはいえ建御名方命ゆかりの温泉地が潰れてしまったのは非常に残念である。

この他に日本武尊を当社の起源とする説もある

日本武尊東夷征伐の際、當国酒折宮にて御連歌の後、

(中略)

今の諏訪社の邊まで御出ありしに、其所に賤けき小屋を結びて、老爺老媼の住居するを御覧ぜられ、御立寄り御一泊あらせらる、依りて後人又同地に社を建て、尊の靈を祀る、是れ諏訪神社の起源なりと。維新前まで此社にて行ひたるヂヂッバ祭なるものは、或は爺婆祭といふ義にならんか。

1916年(大正5)発行 東山梨郡誌 名勝舊蹟より

調べても殆ど情報は出てこないが初鹿野の諏訪神社ではヂヂッバ祭という名の祭礼が行われていたらしい。当時の人はもう生きていないので現地の方でも知る人は少ないのではないかと思う。そもそも本当に行われていたという確証もないが。

次は御神木のホウの木についてみていこう。

初鹿野諏訪神社

本殿の裏にある神木の朴の木は、二千数百年を経たといわれており、幹は幾度か枯れては根本から発芽し、現在に至っている。この朴の木は、日本武尊がこの地に憩った折り、杖にしたものが発芽したものと伝承されいる。

諏訪神社 大和村教育委員会(平成元年三月建立)より

大菩薩連嶺という書物には初鹿野駅(現・甲斐大和駅)付近にあった無頭天神の宮に大朴の木が植えられたと書かれている。

また東山梨郡誌には日本武尊が厚朴の木の枝を折り逆さに杖をついて出立したため後世の人がそこに社を建て下天神と称したという記述が見える。この下天神より右に歩を進めたところに諏訪神社があると記されているので、下天神と諏訪神社は別のものだろうか。ちょっと分からない。

初鹿狩野の郷名を賜り永く邦家を護らんとて樸(朴)の枝を逆に地に指入置賜ふに枝葉栄へて今に存す拾抱計にして繁茂す神木と号し杉の木八抱計りにして同所日向宮と称す

1967年(昭和42)発行 甲斐国社記・寺記 第1巻 諏訪社より

甲斐国社記では、御神木は朴の木ではなく杉の木とされている。

上の写真は初鹿野の大杉の切株で、これは橋立の大杉、矢立の大杉と合せて甲州街道の三本杉と呼ばれていたとのこと。甲斐国社記が御神木というのは、これを指すのではなかろうか。残念ながら初鹿野の大杉は蒸気機関車の煤煙によって枯死し伐採されてしまった。

 

終わりに

初鹿野諏訪神社

さてさて、御神木の朴の木に触れると疎かにすると良からぬことが起きると紹介したが、そもそも朴の木は御神木なのか?という疑問が出てきた。

ただ、いずれにせよ地元の方々や鉄道関係者がこの木を畏れているのは事実である。

1994年(平成6)5月10日の新聞には『”たたりのホウの木”架線に伸びたが…』という見出しの記事がある。朴の木を切ろうとした国鉄の作業員6名が不慮の死を遂げた、中学生が木の根元を触ったため修学旅行中に大事故に遭ったなどと書かれていた。

上の写真は諏訪神社の本殿だが、朴の木を切ることが出来ないため頭上に柵が設置されている。また今回撮影は叶わなかったが反対側の線路の上にも木避けのバリケードが張られる徹底ぶりである。

事実かどうか分からないが、オカルトな方面から調査している方もいるので、興味のある方は検索してみるといい。

いちのまる
いちのまる

水を差すようで申し訳ないのですが、1994年(平成6)の新聞記事で朴の木の手入れをしようか悩んでいるくらいなので、数十年経って何もしていないとは思えないんだよね。

たぶん、その後の動向が記事になっていないのを見ると完全放置ではなく、何かしらの手入れをしているのではないかと私は思っています。知らんけど。

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