群馬県にも京都の伏見稲荷大社や山口県の元乃隅稲成神社に似たような千本稲荷があると聞き参拝してきました。
さて、群馬の千本鳥居は如何なものか?
小泉稲荷神社の場所
伊勢崎駅方面から群馬県道68号線を進むと東町の信号があります。そこを直進すると小泉稲荷神社の看板が見えてきますのでそこをで右折。写真の大鳥居を潜った先が二手に分かれているので左に入ります。写真の大鳥居を潜った先が二手に分かれているので左に入ります。
道なりに進めば小泉稲荷神社に到着!
小泉稲荷神社について
小泉稲荷神社の鳥居は3列並びです。数は約200基といわれています。

しっかり数えておけばよかったとちょっと後悔……。
流石に伏見稲荷大社や元乃隅稲成神社と比べてしまうと風景負けしてしまいますね。
横から見るとこんな感じです。
御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と、大国主(おおくにぬし)。
崇神天皇の皇子といわれる豊城入彦命(北関東の祖)が東国征討を行った際、伏見稲荷大明神の分霊を奉祀したことから小泉稲荷神社の歴史が始まったと伝わっています。
1603年(慶長8)に領主であった久永源兵衛が手厚く社殿を修理し敬神の範を示したため、領民から慕われたといわれています。
久永源兵衛について
萩原家文書目録によると久永氏はもともと石見国の出で大内氏に仕え、恐らくは1500年代の前半に三河国へ移住し徳川氏に属したとされています。
初代・久永重勝が1603年(慶長8)に”武蔵国児玉郡・上野国佐位郡・同新田郡、常陸国信太郡、同河内郡において五千二百石”を賜ったとあります。
重勝は”長篠の戦、小田原の陣、文禄の役の名護屋陣、上杉征伐、関が原の戦、大坂の役等”に出陣し先手弓頭に就いたとされています。
その活躍から様々な役職を任されますが、何代かあとは無役の旗本に成り下がってしまったそうです。
明治、大正時代を経て昭和に入り老朽化が進んだため、1961年(昭和36)に現在の社殿が造営されました。
終わりに
江戸時代からある手洗盤です。
おしまい!
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