群馬県 雨冠に児でなんと読む?川場の吉祥寺訪問記【群馬】 群馬県の北部に位置する川場村に吉祥寺というお寺があります。吉祥寺といえば東京の地名で有名ですが、そもそも吉祥寺ってどういう意味なのか気になったので調べてみました。それでは吉祥寺の由来、そして川場村吉祥寺を紹介いたします。吉祥寺へのアクセス関... 2025.09.12 川場村
群馬県 『日本の滝100選』に選ばれる棚下不動の滝へ【群馬】 日本の滝100選に選ばれているだけある。滝の裏が広い空洞になっています。想像よりも規模が大きく、高所からさらさらと流れる美しい滝に脱帽。虹が滝を引き立てていますね。どうやら棚下不動滝は雄滝、雌滝の二つからなっているようです。この写真は雄滝で雌滝は別の場所にあり気軽に行ける場所ではないようです。 2025.09.09 渋川市
大分県 広瀬武夫とアリアズナの悲恋物語。広瀬神社へ【大分】 アリアズナは広瀬武夫がロシア留学、駐在員時に出会ったロシア人女性です。一般的には文通をする恋仲だったといわれています。彼女は広瀬がロシアを去るとき銀時計と自分の写真入りのロケットを渡しました。そして広瀬戦死の報が入ったとき、一人喪に伏したそうです。 2025.09.08 竹田市
愛媛県 湯築城と伊予国の豪族・河野氏の歴史について【愛媛】 湯築城跡は伊予の豪族・河野氏の居城だった場所です。現在、城跡は道後公園として整備され、地元の方々や道後温泉に来た旅行者たちの憩いの場となっています。城の遺構は土塁や堀などが現存し、武家屋敷などが再現されています。それでは、その歴史を振り返っていきましょう。 2025.09.04 松山市
大分県 豊後森藩の名残、旧久留島氏庭園を歩く【大分】 旧久留島氏庭園は江戸時代に豊後国(大分県)の『速水、玖珠、日田』を領した森藩の藩庁があった場所です。藩主は来島氏。戦国時代に瀬戸内海で活躍した村上水軍の一族であります。1601年に入封し明治維新まで森藩を治めました。 2025.09.02 玖珠町
東京都 ルネこだいら前にある日本一大きな丸型ポストについて【東京】 丸型ポストは1949年(昭和24)から設置が開始されました。正式名称は『郵便差出箱一号丸型』というそうです。1970年(昭和45)に角型のポスト設置に切り替えられ、新しく丸型ポストが設置されることはなくなりました。 2025.08.12 小平市
東京都 南蔵院のしばられ地蔵と大岡越前守の逸話について【東京】 東京都葛飾区水元にある業平山南蔵院。南蔵院は1348年(貞和4)に創建された由緒のある寺院です。こちらの境内には『しばられ地蔵尊』と呼ばれる珍しいお地蔵様が安置されています。 2025.07.31 葛飾区
愛媛県 瀬戸内海の大海賊、村上武吉!村上水軍博物館へ訪れて【愛媛】 戦国時代に瀬戸内海一帯を治めていた村上水軍。瀬戸内海は侵攻、輸送ルートとして攻守ともに重要なエリアだったので、隣接する大名としては必ず押さえておかなければならない要所でした。ですから村上氏は協力関係にある大名を守るため海上から敵を妨害し海の自由を奪いました。 2025.07.25 今治市
愛媛県 島がまるまる城跡?!村上水軍が治めた来島城跡へ【愛媛】 来島城は瀬戸内海で名を馳せた村上海賊の一族が治めた城です。城主の来島村上氏については↓の記事で触れていますので下記のリンクを参考にしてください。今回はちょっと筆を休めて写真メインの記事でお送り致します。それでは参りましょう!来島城へのアクセ... 2025.07.21 今治市
愛媛県 村上海賊の城、能島城跡を展望台から眺める【愛媛】 今治市宮窪町の沖に浮かぶ能島と鯛崎島。村上水軍の頭領・能島村上氏が能島城を築城し居城としました。能島村上氏が史料上に登場した時期と発掘された遺物の時期が一致したことから14世紀後半頃には居城があったと推測されています。 2025.07.21 今治市
神奈川県 江島神社の三相女神と北条氏の家紋・三つ鱗について【神奈川】 北条時政が子孫の繁栄を願って江の島弁財天に参拝したときのこと。目の前に美しい女性が現れて御家の将来に悩む時政に助言を与えます。全て伝え終えると女性は大蛇の姿になり大海へ去りました。突然の出来事に驚く時政。ふと地面を見つめると足元に三つの鱗が落ちていました。彼はこの鱗を持って帰り北条の家紋にしたと伝わります。 2025.07.17 藤沢市
神奈川県 江の島で修業して鍼治療の達人になった杉山和一について【神奈川】 杉山和一(1610~1694)。現在の三重県津市の出身。幼少期に伝染病で失明し、長男として家を継ぐことをあきらめて義弟に杉山家を譲ります。17歳位の時に鍼術の道を目指し、山瀬琢一なる人物に師事しますが、上達せず破門されてしまいます。 破門されて絶望しますが『盲目の自分が生き抜いていくには鍼術の道しかない』と江の島の弁財天の下で命を賭した断食修行を行いました。 2025.07.07 藤沢市
神奈川県 江の島の児玉神社の由来について【神奈川】 江の島にある児玉神社。 御祭神は児玉源太郎命。ご利益は勝利、英知、福運。現在の山口県周南市出身。1852年、長州藩の支藩である徳山藩の武士の長男として生まれました。父の児玉半九郎は過激な尊王攘夷論者で危険視され蟄居謹慎。蟄居謹慎に憤慨し食事を拒否。そのまま死亡しました。児玉源太郎5歳の時です。この件により児玉家は衰退します。 2025.06.30 藤沢市
大分県 豊薩合戦の戦死者が弔われた千人塚【大分】 大分県竹田市に千人塚と呼ばれる場所があります。ここでは戦国時代後期、九州統一を目指す薩摩国の島津氏と没落の一途を辿る豊後国の大友氏が熾烈な争いを繰り広げました。この戦いを豊薩合戦と呼びます。千人塚は数多の戦死者を弔うために作られた首塚です。... 2025.06.23 竹田市
大分県 お猿の山!高崎山のてっぺんには何がある?【大分】 古くは日本書紀に高崎山には狼煙台があったと記されています。南北朝時代に豊後大友氏8代当主の大友氏時が高崎山に城を築いたと伝わります。氏時の兄・氏泰の代に足利尊氏が新田義貞ら官軍に追い詰められ九州に落ち延びてきました。その際、大友氏は尊氏を庇護したことから氏時は猶子となり『氏』の字を与えられたといわれています。 2025.06.16 大分市
静岡県 伊豆半島の最南端にある石廊埼灯台から【静岡】 伊豆半島の最南端に位置する石廊崎灯台から眺める海。岬の名称は石廊崎。灯台は石廊埼。この違いの原因は旧日本軍にありそうです。海に突き出た陸地の先端部を海軍が作成した海図では『埼』、陸軍が作成した陸図では『崎』としました。灯台は海軍の管轄だったということですね。 2025.06.08 南伊豆町