三鷹市と言えば?
すぐ思い浮かんだのが三鷹の森ジブリ美術館。特にジブリのファンという訳ではないのですが、パッと出てきました。あとは井の頭公園ですかね。ゾウの姿を思い浮かべます。
でも今回散策して一番印象に残ったのはジブリでもなく、井の頭公園でもなく、三鷹市は『太宰治推し』だったということでした。細かいことは本文に載せますが、三鷹市には太宰治を初め多くの作家が好んで居住し執筆活動に励んでいたようです。
それでは参りましょう。
太宰治ゆかりの地
現地案内板より
『走れメロス』『斜陽』『人間失格』などの代表作で知られる小説家・太宰治。
玉川上水駅の近くで暮らしていたので印象に残っています。というのも場所は全然違うけど『玉川上水⇒入水⇒太宰治』という感じで連想していました。若い頃から自殺未遂を繰り返し、最後は美容師の山崎富栄とともに玉川上水に身を投げ心中を遂げています。
太宰治ゆかりの地・三鷹市を巡りましたので写真と共に紹介していきます。
三鷹跨線人道橋
1929年(昭和4)に竣工された陸橋。
中央線の上を通っています。太宰治お気に入りの陸橋で『いいところがありますよ』と言って編集者や弟子達を連れて行ったそうです。

こちらの陸橋は老朽化のため撤去されてしまいました。
中鉢家跡
現地案内板を編集引用
疎開生活を終えた太宰治が仕事に没頭できるようにと借りた仕事場。
仕事場は女性(キクちゃん)の部屋で彼女が仕事に出ている間、借りるといった感じ。『朝』という作品にその様子が書かれています。引き込まれるような文章で、なんかエロいです。
ここで『ヴィヨンの妻』という作品を書きました。
田辺肉店離れ跡
一九四七(昭和二二)年四月からは、『斜陽』を書き継ぐために、田辺肉店のアパートを借り、外部との連絡は若松屋を通して行ったと言われています。この店を舞台にして『犯人』が書かれました。
現地案内板より
説明の通りです。
太宰横丁
この通りは小さな飲食店が軒を連ねており、太宰治がよく通ったことから『太宰横丁』名付けられました。
太宰治は酒豪で有名です。『酒の追憶』という短編では自分と酒にまつわる思い出を書いています。他にも『右大臣実朝』の中で『酒ハ酔フタメノモノデス。ホカニ功徳ハアリマセヌ。』なんて言葉も残しています。
伊勢元酒店跡(現・太宰治・文学サロン)
現地案内板を編集引用
太宰治・文学サロンでは『資料展示』『情報交流と発信』の場として市民の交流の場になっています。
野川家跡
現地案内板を編集引用
山崎富栄と親しくなった一九四七(昭和二二)年九月頃から、彼女が下宿していた野川家の二階北側の部屋も仕事場にしていました。
太宰最後の日、一九四八(昭和二三)年六月十三日に、『グッド・バイ』(未完絶筆)などを残し、ここから玉川上水へ向かいます。
現地案内板より
説明板の場所には葬儀会社が建っています。
小料理屋「千草」跡
太宰治はいろんなところを点々としていたのですね。
太宰治 旧居跡のさるすべり
三鷹市の和風文化施設・井心亭にあるさるすべり。
すぐ近くにあった太宰治の居住地に植わっていたものを移植しました。
『おさん』という作品にこのさるすべりが登場します。
玉鹿石と入水の地
玉鹿石の辺りから太宰治と山崎富栄は玉川上水へ入り入水自殺したといわれています。
現在の玉川上水からは想像出来ませんが当時は水量が多く、この場所に至っては滝のような流れだったそうです。
新橋
太宰治の誕生日6月19日、新橋付近にて紐で結ばれた太宰治と山崎富栄の遺体が発見されました。
発見された太宰治は穏やかな死に顔。一方、山崎富栄は苦しみに満ちた恐ろしい相貌をしていたそうです。
禅林寺 太宰治墓所
このお寺に太宰治の墓があります。
本名の津島修治ではなくペンネームが刻まれているのですね。
森鴎外の墓。
太宰治は『花吹雪』の中で、『森鴎外が眠る禅林寺の片隅に埋葬されたい。でも自分なんかが鴎外と同じ墓地に眠る資格なんてない……。』的なことを語っています。
死後、美和子夫人が夫の心情を汲み、森鴎外のお墓の近くに埋葬しましたとさ。

別の女性と心中した男の希望を叶えてあげるって……。どんだけ心が広いのかしら?それとも何か別の意味が込められているのでしょうか。
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