この写真の場所には廃墟がありました。
廃墟は天草五橋の開設に合わせて建てられたホテルで、名を天草パールラインホテルと言います。
ホテル跡地からは天門橋と飛岳が見えます。
天草パールラインホテルは5~6階建てだったそうなので、上層階の部屋からの眺めは抜群に良かったことでしょう。
ホテルについての詳細を過去の新聞から拾おうとしましたが、かなり昔に建てられ閉館したホテルなのでネット上のデーターベースでは大した情報が集まりませんでした。(1980代半ばくらいからしか取り扱いがないため)
また、登記情報もネットでは見つかりませんでした。
わかる限りのことを書いて終わろうと思います。
事前調査で解体されたと知っていたので全く期待していませんでしたが、ホテルの名残は残っていました。
もちろん、立入禁止です。
後述しますが過去に問題が起きたためかなり厳重に守られています。有刺鉄線もありますし、監視カメラっぽいものみ見受けられました。
外から眺めるだけで満足しましょう。
過去新聞のデーターベースで『パールラインホテル』を検索すると1994年、1995年、1997年の記事がHITしました。
1994年の記事では場外舟券売り場建設計画について書かれています。
天草パールラインホテルについて元々は町営の土地だったが1966年(昭和41年)に観光業者に買われて観光ホテルが建てられたとあります。閉鎖年は1984年(昭和59)年としています。
1995年、1997年については廃墟になった天草パールラインホテルの火災について書かれていました。
1995年6月10日午前5時20分頃、消防車が15台出動する火事が起きています。鉄筋コンクリート5階建ての内1、2階部分が焼けたとあります。この記事では閉鎖年を1974年(昭和49年)の3月としています。
1997年3月9日午前4時50分頃、鉄筋コンクリート6階建ての内2、3、4階部分が焼けたとなっています。この記事にも閉鎖年が書かれていて1973年(昭和48年)12月となっています。
情報がバラバラです。正直お手上げ状態!
熊本の大きな図書館に行けばもっと古い新聞が見れます。熊本に住んでいれば何度も通って調べますが、遠方に住んでいるので調査は一先ず諦めます。
ネットの情報を見ると『ホテルの前には学校があったとか』、『宿泊客が命を絶った部屋がありコンクリートで固められていた』、『近くにある天門橋が原因で霊が出る』なんて情報があります。
もし、これは間違いないという情報があればコメントいただければ追記したいと思います。
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