本妙寺公園の加藤清正銅像。
ここは熊本市街が一望できる高台にあるため夜景のスポットとして人気があるようだ。
私はそういうロマンチックなものとは縁遠い人間なので、それは他に譲るとして、この記事では本妙寺公園の別の一面を紹介しようかと思っている。
どうやらこの公園、心霊スポットとしても知られているようなのだ。
どのような理由からそのような噂が立ったのか?
原因を探ってみよう!
本妙寺公園の場所
熊本市街から県道1号線を西に進めばok。
案内板が出ているのでわかりやすい。
加藤清正との関係
公園すぐ近くの本妙寺には浄池廟という加藤清正のお墓がある。
死後、御祭神となった戦国大名は多いが、加藤清正は特に人気で『清正公』と呼ばれ多くの人々から信仰を集めた。
『清正公が祀られる場所が心霊スポット?んなわけあるか!』
と思いもしたが清正公は『祟り神』として扱われた時期もあったようだ。
でも、それは一時のこと。
基本的には守り神として祀られてきた。
加藤清正と心霊スポットを結びつけるのはやや無理があると思うし、あまり気分のいいものでは無い。
事件や事故はあったのか?
ここ30年間くらいの新聞を調査した。
本妙寺公園の名前で検索に引っかかった事件、事故は2件。
・1999年(平成11)11月29日に起きた誘拐事件
・2003年(平成15)11月16日に遺体発見
1999年(平成11)の事件は、当時小学2年生の男児が誘拐されたが無事に保護されている。身代金の受け渡し場所に本妙寺公園近くが選ばれた。
2003年(平成15)は死後1年程たった男性(60~75歳)の遺体が本妙寺公園から少し離れた雑木林で発見された。その後、記事になっていないことから恐らく事件性はなかったものと思われる。自ら命を絶った可能性が高いか?
頻繁に事件や事故が起きているなら『噂が流れるのも止む負えない』のかもしれないが、これだけではちょっと弱い。
まぁ、記事にならない事故や事件もあるから何とも言えないけどね。
本妙寺とハンセン病
若有人軽毀之言。汝狂人耳。空作是行。終無所獲。如是罪報。当世世無眼。若有供養。讃歎之者。当於今世。得現果報。若復見受持。是経典者。出其過悪。若実若不実。此人現世。得白癩病。若有軽笑之者。当世世牙歯疎欠。醜唇平鼻。手脚繚戻。眼目角睞。身体臭穢。悪瘡膿血。水腹短気。諸悪重病。
妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八より抜粋
法華経を信じる者に『おまえは狂ってる、そんな行いをしても得ることはない!』と誹謗するなら、この罪は重い。盲目で生まれることになる。
法華経の信者は今の世に於いて果報を得る。この経典を信じる者を、それが真実であれ不実であれ誹謗してはならない。この人は現世で白癩病を得る。
もし笑う者がいれば、歯は欠け、醜い唇になり、鼻は低く、手足は曲がり不自由に、瞳は偏り視界不良、身体は悪臭を放ち、悪い痣や膿が出て、重病にかかる。
白癩病は『らい病』、すなわちハンセン病のことである。
現代人からすると『なんて恐ろしいことを説くんだ?!』と感じるが、ここは時代を考慮して冷静になろう。
本妙寺事件とは?
本妙寺事件は1940年(昭和15)7月9日に起きたハンセン病患者の強制収容のことを指す。
上述した『妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八』は法華経を信じる者を謗ると白癩病(ハンセン病)や様々な病気に罹ってしまうという教えである。
これを転じて『法華経を信じれば白癩病(ハンセン病)が良くなる!』という発想をする者が現れる。
加藤清正は法華経(日蓮宗)の熱心な信者だった。ハンセン病の患者たちは清正公にすがれば病気が治ると考えたのかもしれない。清正公が眠る本妙寺にはハンセン病患者が多く集まり、彼らは参拝者に寄付を募った。
詳細は分からないが、これによって様々な問題が発生したのだろう。
1940年(昭和15)7月9日、本妙寺に集ったハンセン病患者の強制収容が行われ約157名が日本全国にあるハンセン病療養所に連行された。
強制収容で死者は出なかったが、突然訳も分からず攫われて全く知らない土地へ連れていかれる恐怖は計り知れない。現在は解明されたハンセン病であるが、当時の人々からすれば謎の病気だった。
まぁ、複雑な問題なのだ。
これは心霊とは関係の無い事件であるけれども、本妙寺に関する事件として紹介した。
終わりに
本妙寺公園が心霊スポットとされる根拠について調べてみたが『これが原因だ!』と断言できる情報は見つからなかった。
変な悪霊が出てきても、きっと清正公の御神体が成敗してくれるよね。
と思う次第である。
コメント
かれこれ今より40年以上前の事です。
当時大鳥居よりちょっと離れた所に住んでいて、まだ私が小学3年の頃の事です。
その日は友人と学校からの帰り道をこの本妙寺の間を通ってきたわけですが、加藤清正神社に上がる階段の下を通った時に友達と二人で、階段の上から降りてくる武士の格好をした人を見つけて、降りてくる途中で左に石柱の間を抜けて消えました・。
その石柱は、人が通れるほどの隙間は無く友達と二人で「今のは幽霊・・」とお互いに顔を見合った次第です。
その消えた武士のところは、江戸時代か戦国時代の墓でかなり大きな墓がいくつもあった寺でした。
江戸時代から過去に埋葬された墓は、現在とは形が違って赤塚不二夫先生がお描きになったおそ松くんに出てくるおでんの形とそっくりで一番上が三角で四角、丸という形の墓石になっています。
あきらんさん
コメントありがとうございます!
五輪塔、おでんみたいで可愛いですよね。大好きです!
武士の幽霊が清正公にお参りに来たのかもしれませんね。