墨田区

東京都

東京大空襲によって地獄と化した言問橋へ

両岸から被災者が押し寄せ鮨詰め状態となった言問橋に、焼夷弾と火炎旋風が襲い罪無き人々を焼き尽くした。堪らず隅田川へ飛び降りた者も力尽き溺れたり、陸に戻れず凍え死んだ。空襲が去った後、橋の上は人の脂でテカテカと輝き、真っ黒な遺体が無造作に並べられ、河岸にも夥しい遺体が山のように築かれていた。
東京都

関東大震災と東京大空襲の犠牲者が眠る東京都慰霊堂へ

東京都墨田区の横網町公園内にある東京都慰霊堂は、1923年(大正12)に発生した関東大震災の被害者の遺骨を納めるお堂として建立され、初めは『震災記念堂』と呼ばれていた。凡そ20年後の太平洋戦争末期、東京はアメリカ空軍の激しい爆撃によって関東大震災の数倍もの災禍を被っている。