上天草市

熊本県

九州本土と天草諸島を繋ぐ天門橋と天城橋について

天門橋架橋計画は1936年(昭和11)、天草諸島湯島出身の政治家・森慈秀が天草に橋を架けると発言したことから始まった。余りにも無謀な提案だったので森氏は『ほら吹き』呼ばわりされてしまった。当時は宇土半島と天草諸島を繋げるほどの技術がなかったためなかなか話は進まず、完成するまでに25年以上もかかっている。