三瀬峠の聾なおし地蔵と国境石について

某心霊スポットサイトに三瀬峠について書かれていたので、どんな場所なのか気になって実際に訪問することにした。

三瀬は『みつせ』と読む。

福岡と佐賀の県境に位置する標高約580mの峠。三瀬トンネルが開通されるまでは重要な峠道でした。現在でも有料トンネルを避けて峠を通る車もあるけれど、トンネルが無料になれば廃道になるだろう。

峠の最頂部付近には聾なおし地蔵(※歴史的固有名詞)や江戸時代に建てられた国境石が残っている。

最初は心霊スポットが目的で訪れた訳だが、余りにも立派な国境石を見た途端、心霊なんてどうでもよくなってしまった。

聾なおし地蔵と国境石を紹介して最後にちょこっと心霊スポットについて触れようかと思っている。

 

三瀬峠の場所

福岡市早良区から佐賀市までを繋ぐ国道263号線にある。

有料道路に入ると峠の下を抜けてしまうので旧道に入ろう。

 

聾なおし地蔵について

三瀬峠

聾(つんぼ)は『耳が遠い』とか『難聴』ことを指す。現在は差別用語として扱われているので意味も無く使わないように心がけよう。

現地に説明があったので引用する。

聾(つんぼ)なおし地蔵
※歴史的固有名詞

その昔

人々は山道を何時間もかけてまで、この耳を治してくれるという地蔵様にお参りに来ていたそうです。

耳がなおると、あらためてお礼のために参詣し、そのときは新調の火吹竹をつけ加えて返納することになっていた。むかしは沢山の火吹竹が供えられていたという。

火吹竹が沢山有ったと言うことから、実際にかなりの確立(ママ)で耳を治していたものと思われる。パワーが強いお地蔵様だそうです。

聾(つんぼ)なおし地蔵の説明板

とのこと。

祠のなかに火吹竹が奉納されていた。火吹竹は火を熾したり焚きつけたりする道具だが、奉納する理由は分からなかった。

民俗学者の柳田國男が火吹竹について書いています。『木綿以前の事 柳田国男』でググると青空文庫がHITしますので興味のある方は見てください。

国境石について

三瀬峠

道路脇の森の茂みの中にあった。

峠道からギリギリ見える場所に建っていたけど石柱までの道は整備されていないので急な斜面を登らなければならない。

もしかしたら簡単にたどり着けるルートもあるのかもしれない。

 

三瀬峠

右側の石碑
・正面・・・從是北筑前国
・横面・・・怡土郡飯場村抱
・裏面・・・文化十五年戊寅四月

 

三瀬峠

左側の石碑
・正面・・・從是南肥前国
・横面・・・神埼郡三瀬山村
・裏面・・・文化十五戊寅歳四月

と刻まれている。

 

三瀬峠

文化15年は江戸時代後期、西暦で表すと1818年。

いまから200年くらい前に建てられた国境石ということになる。

碑の字体が右と左で違っていた。右が福岡藩、左が佐賀藩。ピッタリくっつき合っている石柱を見ると『両藩が協力しあって道の整備や管理をしていたのかな?』と想像が膨らむ。

いちのまる
いちのまる

この石柱には謎のパワーがあると思います。なんか圧倒されました。

石なので人為的に壊さない限り半永久的に残るとは思うが、いずれ廃道になってしまうだろうこの場所なので、聾なおし地蔵と共に史跡として残していただきたいところだ。

 

何故、心霊スポット?

三瀬峠

『くねくねした峠道だから事故が多かった。』程度の理由で心霊スポットになったのだろうと予想していたが、家に帰って調べてみると1983年(昭和58)9月に事件が起きていること判明した。

1995年(平成7)、1998年(平成10)の佐賀新聞に『三瀬峠女性殺人・死体遺棄事件』『三瀬峠OL殺人・死体遺棄事件』の記載あり。当時の新聞を読まないと詳細は分からないが、犯人は捕まらず時効を迎えている。

また吉田修一氏の『悪人』という小説のなかで三瀬峠が登場し、上記事件と同様に作中で女性が殺害され、峠に死体が遺棄される描写がある。『悪人』は2010年に映画化している。

いつから三瀬峠が曰くつきの場所と言われ始めたのかは不明。

この事件が原因ではないかと私は考えている。

これ以外の根拠をご存知の方がいらっしゃれば是非ご教授願いたい。

 

終わりに

以上が三瀬峠についてである。

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