埼玉県秩父市の土壇場地蔵に参拝。
白滝の直ぐ近くにあることから、白滝の土壇場地蔵とも呼ばれている。
また、その謂れから首切り地蔵と称されることも…。
どのような歴史が残る場所なのか?
振り返ってみよう。
土壇場地蔵の歴史
江戸時代、大滝村は天領でした。
この場所は、秩父甲州往還沿いの大滝村一番地の入り口です。
そして、罪人の処刑場でした。
現地案内板 土壇場地蔵の由来より
かつてこの場所には刑場があったらしい。
土壇場地蔵の背中には『念仏供養塔』と刻まれている。
過去の新聞や国立国会図書館のデジタルコレクションでざっくり調べてみたが、目ぼしい記事や書籍は発見出来なかった。
引き続き調査を続けるつもりなので、新しい発見があったら追記しようと思う。
土壇場とは?
『土壇場』の意味は、
土を盛って造られた壇のこと。
罪人の首を落とすための穴が掘られ、掘り出された土を壇にし、そこに罪人を横たわらせ斬首した。
このことから土壇場は『最後の瞬間』や『切羽詰まった様子』という意味でも使われている。
割と軽い気持ちで使われる言葉だが、『九死に一生を得る』と同じぐらい重い言葉だと私は思う。
終わりに
道中、橋が大破していて沢を渡る羽目になった…。
11月の秩父の沢は、それはもう冷たかった。
直に改修されるだろうが、行かれる方は長靴を持参したほうがよいかもしれない。
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