秩父浦山地区の廃村・嶽集落を散策!落人伝説や歴史ある神社を紹介しようじゃないか…。

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嶽集落

埼玉県秩父市の浦山地区に嶽集落と呼ばれる廃村ある。

廃墟マニアで知らない人はいないであろう廃村なのだが、調べてみると心霊スポットとしてもそこそこ有名な場所のようだ。

立入禁止区域ではないので、秩父心霊スポット巡りの一環で訪問することにした。

今回の記事は主に画像に重きをおいて進行しようと思う。

 

嶽集落の風景

嶽集落

浦山ダムの近くにある集落から山へ続く細道を進むと全壊寸前の廃屋が目の前に現れる。

『秩父往還 いまむかし(飯野 頼治 著)』によると、

日向、岳、茶平、武士平などの古い集落の多くは『うわみち』または『うわごうみち』とよばれるこの旧道ぞいの日当たりのよい南西斜面に点在している。

飯野 頼治 著 秩父往還 いまむかし 106頁より

ここで紹介されている4つの集落の内の『岳』が嶽集落の事を指す。

振り仮名は『たけ』となっていた。

 

嶽集落

浦山地区の一部では縄文時代の遺物が発掘されている。

大昔からここを拠点に生活していた人々がいた。

夏は過ごしやすいかもしれないが、冬をどのように乗り越えたのだろうか?

 

嶽集落

明治時代になると木材や炭焼きの業者が入り、それまでひっそりと暮らしていた集落に変化が出始めた。

 

嶽集落

戦後は高度経済成長により若者の田舍離れが進み過疎化が進んだ。

嶽集落とは直接関係はないけれど、1980年(昭和55)の浦山ダム建設により川縁の民家58戸が立ち退きを余儀なくされている。

次第に地区の人口は減少していき、嶽集落はとうとう無人となってしまった。

 

十二社神社について

嶽集落

嶽集落は廃村となり廃屋は殆ど放置されているが、奥地にはしっかりと管理された十二社神社が鎮座している。

現地に神社の由来が記されていたので、少々長いが引用する。

 

嶽集落

武甲山に修行した修験が祀った社

当社は『新編武蔵風土記稿』に『十二社権現社小名嶽にありて、そこの鎮守なり、例祭六月十五日、大宮郷園田筑前配下にて神職神林帯刀』と載り、社記に『本社祭神ハ天神七代地神五代ノ彦姫神ノ皇祖尊キ神霊ヲ合祀シテ斎キ祀レル御社ナルヲ以テ十二所権現ト云崇神天皇ノ代八意思兼命十世ノ孫秩父彦命秩父姫命両柱神国造トシテ降リ給ヒ古ヨリノ吉例ヲモッテ天神地祇ヲ祀ラレタリ是当社ノ創ナリ、後景行天皇ノ大日本武尊東征ノ際当社ヲ拝サレ、更ニ降ッテ後鳥羽天皇ノ代建久に年(一一九一)畠山重忠当社ニ祈請シテ本村字家附ヲ限リ字日向字寄国土ヲ境シテ三十六町四方ヲ神領トシ守護不入ノ地ト為ス、後元和五年(一六一九)北条氏邦鉢形城ヲ遁来リ当社内ニ隠ル、徳川氏是ヲ怒リ神領ヲ奪フトイヘド慶安二年(一六四九)壱反三畝六歩ヲ御縄除トシ代々領主安全ヲ祈ラシム』とある。

現地案内板『十二社神社 御由来』より

社記前半は神話的な話なので真偽を知る由もないし、畠山重忠は武蔵国に所縁のある武将だから訪れた可能性を否定できないが、文末の北条氏邦のくだりはちょっと厳しい。

確かに小田原征伐で豊臣軍に鉢形城は包囲されており、北条氏邦は城から脱出したそうだ。

しかし、小田原征伐は1590年(天正18)の事である。

単純に年号を間違えたのかもしれない。

いずれにせよ『秩父往還 いまむかし』では”近世までほとんど世人には知られずに時が経過した。”とあるから社記は伝説の域を出ていないと思う。

 

嶽集落

れい
れい

水器がシャンパングラス?!

ゆう
ゆう

お酒を供物として差し出しているのかしら?

いちのまる
いちのまる

たまたまだろうけど、水垢の位置から察するにグラスに注ぐ酒の量を理解している人がお供えしたのかも?

嶽集落

残留物は思っていたより少なかった。

住民は突然にではなく少しずつ外へ流出していったのだろう。

いつ頃、廃村になったのか気になる所だ。

 

落人伝説について

嶽集落

往古石間ノ敗レニ亡命ノ徙コゝニ潛匿セシ所ナリト傳ヘリ

新編武藏風土記稿卷之二百六十三 秩父郡之十八 浦山村より

浦山地区は戦に敗れた武士が隠れ住んだ場所と伝わる。

新編武蔵風土記稿の”往古石間ノ敗れ”は平将門の乱に由来していると思われる。

10世紀中頃、平将門が平貞盛・藤原秀郷との戦いで敗死した後、将門の親族が石間城に立て籠もった。

しかし多勢に無勢…。

敗北した武者が落人となり秩父の山々に散り散りなったのではないか?

この伝説が真実であるならば、浦山の住民は平将門に加担した武士の子孫なのかもしれない。

 

嶽集落

写真のストックはまだまだあるけれど、ネタ(文章)が無くなってきたので、この辺りで筆を置くことにする。

 

終わりに

嶽集落

住居跡は朽ち果てていたが、神社や地蔵尊は美しく保たれていた。

近隣集落の方々が赴き、手入れをしているのだろう。

地蔵尊の横に興味深い立て看板があったので紹介して終わろう。

ここに昔からいたお地蔵様が行方不明になりました。
昔からあったお地蔵様で、馬頭様のそばに一つだけあった大きなお地蔵様です。

このお地蔵様は、○○さんのお墓の入り口にあったものです。
それを、○○さん親子が自分のお墓の外に六地蔵様と一緒に作りました。
馬頭様も東側の反対にあったものを、六地蔵様の横に並べて作りました。

この大きな一つのお地蔵様には昔から言われがあって、手を付けると、やけどをすると言われました。手を付けると怖いお地蔵様です。

今まで嶽部落は何もありませんでしたが、そのさわりで25年8月に嶽部落が大火事になったのかもしれません。
また、災難があると困るので、『お地蔵様』是非、元の場所へ帰ってきてください。

お願いします。

現地の張り紙より引用(一部編集)

2013年(平成25)8月、住所不定無職の男性が非現住建造物等放火容疑で逮捕された。

28日午後6時、男は自殺しようと浦山の空家に火を付けたが怖くなって逃走したとのこと。

同日午後6時40分頃、『山火事だ。捕まえてみろ!』と男から110番が入る。

駆け付けた警察が現場から2km離れた駐車場で男を発見し任意同行した上で逮捕した。

いちのまる
いちのまる

この人は何がしたかったんだ?
そして、お地蔵様は何処へいったんだ?

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