1963年(昭和38)9月10日、東京都南多摩郡由木村鑓水411に位置する道了堂大岳寺の堂守を勤める81歳の老婆が何者かによって殺害された。
自宅八畳間で血だらけになって横たわる母を、八王子市内の勤務先から帰宅した長女が発見し警察に通報。
老婆は喉や胸を刃物で刺され、顔に座布団が覆い被さっていたと云う。
室内には物色された跡が残り、別室の棚にあった箱から約300円が盗まれていた。
道了堂跡の歴史
老婆の名は”とし”と言い、道了堂に入山したのは1909年(明治42)頃、28歳のときであった。
”とし”は器量の優れた女性だったらしく、彼女がここで暮らし始めてからというものの、物見遊山の対象となり道了堂は参拝者で賑わうようになった。
ひとり堂を守る美しい巫女を憐れんだ集落の寺僧や有力者らは、彼女の下にしばしば通うようになり”とし”はいつしか誰ともわからぬ者の子を宿した。
村では、みたび私生児を生んだとしに対して、父親をめぐって噂が乱れ飛んだ。
『親父は、隣りの中山の住職だべ』
『いや、今度は村長に違いねえべ。うら、村長が夜さるになると、峠を登っていくのをみたことがある。一度じゃねえだ、何度も見ただんべえ』辺見じゅん著 呪われたシルク・ロードより
このような有様であったから近隣の里人から蔑視されることとなるのだが、”とし”は意に介さず気丈に振舞っている。
次第に里との交流は薄れていき、晩年は木々が繁茂する薄暗い堂宇の近くでひっそりと過ごした。
1963年(昭和38)9月11日の読売新聞によると長女が母の遺体を発見して警察に届け出たとあるけれども、『呪われたシルク・ロード』では日々道了堂に通っていた郵便配達員が本堂の傍の一室で無残な姿に成り果てた”とし”を見つけたと記されている。
当初は村の人間に疑惑の目が向けられたが、どうやら犯人は山梨県の労働者だったらしい。
『呪われたシルク・ロード』には道了堂跡の真実の他に絹の道や鑓水地区の歴史の裏側が克明に描かれている。
当記事は道了堂跡の記事故に事細かくは紹介しないけれども、大変興味深い良書なので、少しでも気になる方は手に取っていただきたい。
終わりに
八王子の道了堂と呼ばれる廃寺で老婆が殺されたために曰く付きの噂が流れていると、心霊スポットの調査をし始めた頃から聞き及んでいた。
念願叶って、道了堂に訪問出来たのです!
当記事を書く以前は『どうせ、創作に尾鰭が付いたものだろう。』と早合点していたが、想像以上の事実を知って驚いた。
東京都にある心霊スポットの中でも屈指の恐怖度を誇ると流布されるのも頷ける。
堂守老婆の霊が出ると言うならば、それは恐らく訪問者を喜ぶ霊ではないだろう。
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