平将門の終焉の地として知られる正一位北山稲荷大明神。
2022年(令和4)時点ではしっかりと整備されているが、数年前までは草木が繁茂し半ば放置されている状態であった。それ故に廃墟に漂うような不気味な雰囲気が流れていて心霊スポットなどと噂されていたようだ。
将門終焉の地と呼ばれる所以は、将門が討ち死にした際に陣を張った場所が『辛嶋郡之北山』と将門記に記されているのと、1970年(昭和50)8月29日に当地から源頼信が将門を供養するために建てたとされる板碑が発見されたためである。
ただ、公的に認められている訳ではなく、ここ以外にも候補地が幾つか存在している。
平将門の生涯については↓の平将門の首塚で簡単に紹介しているのでご覧頂きたい。
終わりに
平将門に関する伝説は関東各地に伝播していて、それらはしばしば曰く付きの場所として扱われている。流石、日本三大怨霊の御一人である。影響力が普通の幽霊とは比べ物にならない。
身内同士の争いから発展して関東を席捲し、新皇を名乗って新たな建国しようとする程の凄まじい胆力の持ち主である。その魂は力衰えず霊界を蹂躙し冥王に君臨していても不思議ではない気がする。或いは神の類に昇華しているのかもしれない。現に将門を祀る神社も存在していることだし。
いちのまる
1000年以上経っても未だ人々を畏れさせるとは…。
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