天上山(嘯山)から延びるなだらかな尾根が河口湖まで達し小さな岬の形を呈している。
この小さな岬は小曲岬と呼ばれ、現在は小曲展望広場として自治体に管理されているが、平成の中頃までは『ホテル小曲園』という著名な廃墟があり相当に治安が乱れていたらしい。
既に存在していない建物ではあるが、当時は心霊スポットとしても知られていたようなので取り上げることにした。
天上山は太宰治のお伽草子に出てくるカチカチ山の舞台となったとされている場所だね。昔話のカチカチ山に登場する兎と狸を人間の男女に当てはめたサスペンスチックな物語です。青空文庫で読めるので興味のある方は調べてみてね。
読売新聞の2003年(平成15)3月7日の東京朝刊にホテル小曲園の完成と廃業についての記事がある。『ホテル小曲園は1952年(昭和27)に完成し、1989年(昭和64/平成1)に経営不振により廃業した』という内容だ。
開業の時期についてはこの他に『1950年代』とするものや『戦前からの老舗である』と書く新聞もあった。
1964年(昭和39)に発行された旅行誌に『収容人数110名、団体130名、料金2,000円から4,000円、自慢料理は鯉の洗い、わかさぎ料理』とある。どこかの新聞記事で『増築を重ねて云々』と書かれていたような気がするから、最終的な収容人数はもっと多かったのかもしれない。
廃業後は東京の不動産会社に所有権が移った。そして、その不動産会社が倒産したことにより2002年(平成14)3月、土地と建物が自治体に譲渡された。
放置された廃墟はガラスが割られたりボヤ騒ぎがあったりしたため、迷惑を被っていた地元住民から『解体して欲しい』と要望が寄せられ解体されることになった。
終わりに
以前投稿した記事でも紹介したが、河口湖では1949年(昭和24)に遊覧船が転覆し16名の命が失われる事故が起きている。
事故現場は小曲公園(ホテル小曲園があった場所)付近であった。ホテル小曲園が開業する以前だから関係はないかもしれないが、幽霊の根拠になりそうな話である。
他に気になったのは富士霊異記というオカルティックな書籍。これを何処まで信じていいのかわからないけれども、カチカチ山(天上山)の付近に飢渇窪と呼ばれる箇所があり戦国時代には老人を捨てる姨捨山的な役割を果たす悲しい場所だったと云う記述がある。
真偽の程は定かでないが、もしこれが地元で語り継がれてきたものであるならば、心霊の理由となり得るかもしれない。
と色々述べたもののホテル小曲園跡に心霊スポットの噂が流れたのは、ただ単に『廃墟だったから』という理由で特に深い意味はないと思う。
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