中津市は歴史好きや自然を求める人たちにおすすめできる観光スポットが多い印象です。
市街地には黒田官兵衛ゆかりの史跡が多くありますし、少し奥地へ向かえば紅葉で有名な耶馬渓があります。あと、ご当地グルメの中津からあげが有名で美味。
今回は黒田官兵衛にまつわる中津城に行ってきましたので、歴史と城の風景を紹介します。
それでは参りましょう!
中津城へのアクセスと入場料
電車ならJR日豊本線の中津駅を下車して徒歩15分ほどで到着します。
自動車ですと様々な経路があります。わかりやすいのは東九州自動車道の中津インターチェンジから中津日田道路に入り犬丸で下り最初の交差点を左折。道なりに進むと案内板が見えてきます。
中津城の歴史について
中津城は豊臣秀吉の名参謀・黒田官兵衛(如水)が1588年に築城を開始し、そのあと入封した細川氏が拡張完成させた城郭です。現在の天守は摸擬建築で『天守は無かったのではないか?』といわれています。
海水を引き込んだ堀を持つ中津城は日本三大水城の一つに数えられています。ちなみに他の二つは香川県の高松城と愛媛県の今治城です。
黒田如水と光姫の2人の息子、長政と熊之助
黒田官兵衛は戦国時代に珍しく側室を持たない一夫一妻を貫きました。この像は官兵衛と妻の光(テル/ミツ)です。二人の間には後に長政と弟の熊之助がいます。
長政は戦国時代末期に徳川家康に従い官兵衛のあと黒田氏を継いで福岡初代藩主になります。熊之助は朝鮮出兵の際に出陣を許されなかったため秘密裏に朝鮮へ向かいますが、途中で嵐に遭い船が転覆し亡くなってしまいました。
お家第一のこの時代に側室を持たず子も2人の黒田夫妻。熊之助が亡くなったときはひどく落胆したことでしょう。
黒田時代と細川時代の石垣
黒田氏が福岡藩に転封すると細川氏が中津藩に入封。
細川忠興は福岡県の小倉に城を築城しそこに藩庁を置いたため一時的に中津藩は無くなってしまいます。
石垣の真ん中あたりの境は右側が黒田。左側が細川時代に積まれたものです。古い黒田時代の石垣の方が石がきれいでしっかりと積まれていることにビックリしました。この石は福岡県上毛町にあった古代の唐原山城から持ち出されたものだそうです。
江戸時代の中津城
1632年、肥後国の加藤氏が改易になり細川氏が肥後入りします。そして中津城に播磨龍野藩の小笠原長次が入城し中津に藩庁を置きます。しかし1698年に中津小笠原3代目の長胤が悪政を敷いたため改易になってしまいます。
小笠原氏の代わりに入封してきたのは奥平昌成。中津藩は明治期の廃藩置県までのおよそ150年間、奥平氏によって治められました。旧10000円札で有名な福沢諭吉は中津にゆかりのある人物で中津最後の藩主である奥平昌邁は廃藩のあと福沢諭吉が創設した慶應義塾に入学し中津市学校を建立するなどの足跡を残しています。
明治時代の中津城
現地案内板より
中津城は廃城令により松の御殿と殿舎の一部を残し取り壊され、跡地には県の支庁が置かれました。
しかし1877年(明治10)、西南戦争で薩摩側に呼応した中津隊によって残存する建物が放火され焼失してしまいました。
終わりに
中津城下町にはかつての名残や変わった寺が並ぶ寺町通り、そして福沢諭吉の旧居など見所が沢山あります。

是非、名物のからあげでも食べながら中津観光を楽しんでみてください!
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