黒田官兵衛の弟が創建したと伝わる西蓮寺へ【大分】

西蓮寺

寳池山西蓮寺(ほうちざんさいれんじ)は1588年(天正16)に光心師が創建しました。

光心師ノ父心光師逝去之時出家ス龍谷ノ教ヲ奉シテ播磨餘部ニ徳榮寺ヲ開ク黒田如水中津入國ノ時中津ニ来リ西蓮寺ヲ開ク小倉西蓮寺モ開ク長政公筑前入國ノ時光心師又来リ徳榮寺地ヲ賜リ徳榮寺ヲ建立ス

西蓮寺説明板 西蓮寺縁記

光心師のお父さん職隆が亡くなったときに出家しました。

浄土真宗の教えに従って播磨国の餘部(あまるべ)に徳榮寺を開きました。黒田官兵衛が中津に入国したとき一緒に来て西蓮寺を開きました。小倉にも西蓮寺を開いています。

黒田長政(官兵衛の息子)が筑前に入国のとき光心師は筑前に来ました。土地を貰って徳榮寺を建てました。

光心師は黒田官兵衛(孝高)の弟である黒田市右衛門のことで、父・職隆が1585年(天正13)に亡くなった際に出家したと云われています。

 

西蓮寺

ただ、光心師こと黒田市右衛門について調べてみてもほとんど情報がありませんでした。

黒田次郎兵衛

播州上月城主、上月の十郎が子なり。母は櫛橋豐後守の女、孝高の内室の婦なり。次郎兵衛今年廿五歳。黒田市右衛門の父なり

貝原益軒 著 黒田家譜より

貝原益軒の黒田家譜に黒田市右衛門の名前を発見しましたが、これが正しければ次郎兵衛は黒田長政のいとこに当り、市右衛門はその息子ということだから世代が合いません。

いちのまる
いちのまる

光心師って何者?!

西蓮寺の本堂は1844年(弘化元・天保15)に再建されたもので、発起人は播磨屋助次郎という8歳の少年だったそうです。

彼は何を思ったか近くの川から必死に石を集めてお堂を建てようとしました。助次郎の行動に感心した総代が再建に尽力したと伝わります。再建当時の中津藩主・奥平昌服はこの逸話を聞いてか西蓮寺本堂でお茶会を催すようになったといいます。

 

西蓮寺へのアクセス

自動車で向かうなら中津駅北口前の駐車場か福沢諭吉旧居(記念館)で駐車するのがよいかと思います。福沢諭吉旧居もついでに観光していきましょう。

中津駅北口から信号がある交差点を直進。すると小さな川が見えてきますので川に沿って左折します。50mくらい歩くと小さな交差点がありますので右折。そのまま道なりに進むと道路が石畳になります。石畳通り(寺町通り)を左折すればすぐ到着します。

福沢諭吉旧居(記念館)からなら駐車場から左に出てしばらく歩くと石畳の道があるのでそこを左折して直進すれば着きます。

共に徒歩5~7分で行けるでしょう。

にっぽん旅行記

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