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国宝・臼杵石仏(磨崖仏)と巡る人の一生【大分】

大分県は『まがいぶつ県』といっても過言ではありません。その数は日本一クラス。

近畿、中部地方から始まったとされる磨崖仏文化は各地に広がり全国に知られるようになりました。今回訪れた臼杵磨崖仏は日本全国にある磨崖仏のなかで唯一国宝に指定されています。

大分県は『おんせん県』と謳っているだけあって別府、湯布院などの温泉地にばかり目が行ってしまいがちですが、他にも良い場所がたくさんあります。臼杵磨崖仏もそのひとつ。大分にいらしたら是非一度は足を運んでいただきたい観光名所です。

 

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磨崖仏とは?

磨崖仏は岩壁、および窟内に彫られた仏像の一種です。平面に線を彫って描く線刻、厚みを付け立体感を出した肉彫、像の全体を彫りだす丸彫などの種類があります。

磨崖仏の歴史は古く、紀元前にインドで彫られたものが最初期だと考えられています。日本では平安時代前半に始まったようですが、正確なことはわかっていません。

それでは臼杵磨崖仏を紹介します。

臼杵摩崖仏は平安時代後期~鎌倉時代に彫られたと推定されていますが、史料が残っていないため詳細は不明です。1926年(大正15)に発行された大分県各郡郡史に興味深い伝説が載っていましたので引用します。

臼杵の石佛に就ては古來一の傳説がある、これは所謂傳説で造像との直接關係にどれだけの價値あるかは判らぬが、大要を紹介するも與味がある、それは眞名長者を中心としたものである、飛鳥朝時代豐後國三重の里に眞名長者(又は萬能長者、眞野長者とも書く)というふあり元炭燒を業とし小五郎と稱したが、都から一人の姫が來り夫婦の契を結び、次第に長者となつた。

(中略)

敏達天皇三年長者深田の里に祇陀、療病、施藥、安養、快樂の五院を創建し、七堂ガランを建て紫雲山滿月寺と稱ふ、蓮城を開基に仰ぐと、又同四年附近の崖壁に石佛の造像を終る、刻む所過去七佛十三佛、二十五菩薩、釋迦彌陀藥師等大小百餘體に及ぶ、その作は渡來僧の手になるといふ或る書には造像者を僧日羅ともいつて居るが此處の傳説は蓮城の方が强いやうである。

1926年(大正15)発行 大分県各郡郡史 臼杵の石佛より

大分県各郡郡史には書いてありませんでしたが、長者が亡くなった娘を弔うために石仏を彫らせたという物語が残っているようです。臼杵摩崖仏の近くにある満月寺には真名野長者夫婦と伝わる石仏が安置されています。

参拝方法は仏教的に意味のある順序がありますので、せっかくなのでそれに倣って石仏の写真を見ていきましょう。実際にはどのような順序でも問題ないと思います。

 

古園石仏

臼杵石仏

真ん中。

 

臼杵石仏

右側。

 

臼杵石仏

左側。

臼杵磨崖仏メインの古園石仏(ふるぞの)。大日如来を中心に左右6体ずつ並んだ十三仏です。

なぜここが最初なのか?

理由はここに中心五仏があるからとのこと。手持ちの資料(臼杵磨崖仏についての)に『大日如来』『薬師如来』『釈迦如来』『弥勒菩薩』『阿弥陀如来』の五仏とあるのですが、これらの五仏がどのような経緯で中心五仏になったのか不明です。ネットやほかの書籍で調べてもわかりませんでした。

他には金剛界曼荼羅に関係しているという説もあります。

いちのまる
いちのまる

私の知識では到底解決できない問題なので細かいことは考えないでおきましょう。古園石仏は『仏教とは?』という基礎の部分を語っているから最初に見るべきといわれているようです。

 

 

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山王山石仏

臼杵石仏

真ん中に釈迦如来、右が薬師如来、左に阿弥陀如来。

表情は穏やかで幼い様子。山王山石仏は人間の子供の頃の様子を表しています。

 

堂ヶ迫群『ホキ石仏第一群 第一龕』

臼杵石仏

この石仏は青年期を表しています。

右から観世音菩薩、阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来、勢至菩薩。

 

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堂ヶ迫群『ホキ石仏第一群 第二龕』

臼杵石仏

第一龕の右隣りにある三仏は中尊に阿弥陀如来(未来)、右に釈迦如来(現在)、そして左に薬師如来(過去)。

これまでとは違ってクールな顔つきをしています。髭も生えていぶし銀なご様子。世の中で揉まれ現実を目のあたりにした壮年期を表現しています。

薬師如来の左側にある小さな石仏は愛染明王像で第一龕(青年期)と第二龕(壮年期)の間に位置し、これは人生の一大イベント結婚を表しているそうです。縁結びのご利益があるとされる愛染明王が意中の相手を弓矢で射止めてくれます。

 

堂ヶ迫群『ホキ石仏第一群 第三龕』

臼杵石仏

中尊に大日如来、その右に釈迦如来、左に阿弥陀如来。両脇侍の右側が観世音菩薩、左側が勢至菩薩。

ここでは『仏法に従ってひたすら進め』ということを言いたいらしい。

確かに石仏の表情は達観していて私たちを諭そうとしているような気がしないでもない。

 

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ホキ石仏第一群 第三龕

臼杵石仏

中尊に地蔵菩薩、その左右に5体の像。

『閻魔大王=地蔵菩薩』

ここは『死後の裁き』を示唆しています。

これについては当ブログ『檜原村の十三仏巡り』の記事に載せていますのでお時間がある方はどーぞ!

 

ホキ石仏第二群 第一龕

臼杵石仏

中尊に阿弥陀如来、右に観世音菩薩、左に勢至菩薩。

臼杵磨崖仏もいよいよ終盤。これらの石仏は人生の老年期を表しています。

『後は阿弥陀様に頼るのみです。南無阿弥陀仏!』といった感じでしょうか。

 

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九品の弥陀『ホキ石仏第二群 第二龕』

臼杵石仏

とうとうお迎えです。

九品の弥陀は極楽浄土から迎えにくる仏様。

生前の行いによって9パターンのお迎えと待遇があります。善い行いをした者には豪華なお迎えがきて、身勝手な者には『勝手に来れば?』と冷たい仕打ちが……。また極楽浄土で仏になれるまでの時間も異なります。しかし、阿弥陀様は私たちをもれなく救って下さると約束したので、結局みんな救われるのです。

まぁ、実際死んでみないとわからないですね、こればっかりは。

 

終わりに

臼杵石仏

これにて終了!

受付から道なりに参拝すると、

お迎え(九品の弥陀)→仏教のすすめ、地獄示唆、老年期(ホキ第二群)→青年期、結婚、壮年期(堂ヶ迫群)→仏教基礎(古薗)→幼年期(山王山)

の順番になります。

いちのまる
いちのまる

今回は人の生涯に沿って紹介しましたが、正式な回り方はあるのかな。もしかしたら人生の最後から見せて『今をよりよく生きなさい』と暗に訴えかけている可能性も?

まぁ、どっちから回っても問題ないと思います。ですが知識を持って訪問するとより有意義な参拝ができるね。

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