日中の敷島公園は前橋市民の憩いの場として穏やかな雰囲気に包まれている。
しかし、真夜中になると状況が一転!
恐怖の心霊スポットに変貌してしまうそうだ。
“血だらけで苦悶の表情を浮かべた女性”や“びしょ濡れになった女性の霊”が公園付近を徘徊するとの事…。
さて、何故そんな恐ろしい噂が流布されているのだろうか?
ちょっと調べてみよう。
大久保清の連続婦女暴行殺人事件
敷島公園が心霊スポットとされる所以は、1971年(昭和46)に逮捕され絞首刑に処された連続殺人犯の大久保清にあると噂されている。
大久保清は群馬県内で『絵のモデルを探している。』などと言葉巧みに若い女性を誘い出し強姦と殺人を繰り返した。
殺害された被害者は8名。
敷島公園と大久保清の直接的な接点はないと思われる。
3名の被害者が前橋市内に住んでいたことは判明しているが、前橋市の何処に住んでいたのか迄は分からない。
被害者が敷島公園の近所に住んでいて、幽霊になって帰って来たというのもありなのかしら?これが通るなら何でもありになってしまう気がするけどね…。
敷島公園で『殺された、或いは死体遺棄された』という事実があるならば、心霊スポットと噂されても仕方ないことなのかもしれないが、そのような事実は無い。
という訳で、『敷島公園と大久保清を結びつけるのはちょっと苦しいかな。』と考えている。
何か敷島公園と大久保清を結びつける証拠をご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。
第二次世界大戦末期の前橋空襲は?
敷島公園は大正時代に造園された。
第二次世界大戦末期にアメリカ空軍が前橋市街を空襲し、535名の命が失われた。
敷島公園に焼夷弾は落とされていないようだが、焼夷弾の雨を掻い潜って公園へ逃げ落ち、その場で力尽きてしまった方がいらっしゃる可能性も…。
しかし、空襲された場所が心霊スポットになったという話をあまり聞いた事が無い。
これを言い出したら日本の都市の殆どが心霊スポットになっちゃうよね…。
というわけで、『前橋空襲が根拠?も無理があるだろう。』と思う。
河川の近くだから刑場でもあったのか?
敷島公園は前橋城から程よい距離に位置し、河川が近くにあるので仕置場(処刑場)があったのかもしれないと推測し調べてみたが、その可能性は低そう。
前橋藩には『天川大島・藤岡立石・諏訪町裏・真政』という仕置場があった。
これらは敷島公園と全く関係のない所にある。
利根川中流域はゴツゴツした岩が多い微妙な立地にあるし、度々氾濫を起こすから刑場には不向きだと思った。
終わりに
結論!
『敷島公園が心霊スポットとされる理由は分からなかった!』
※追記(2023年7月23日)
敷島公園の南端の池にある『お艶が岩』には悲しい伝説が残る。
利根川の西岸の村にお艶という18歳の大変美しい女性がいました。
とある日、お艶はたまたま行き会った対岸の男と意気投合し、また会えるようにお互いの情報を教え合って別れました。
お艶の初恋でした。
恋に捕らえられた彼女は、岸から男を探し求め頻りに対岸を眺めたり名前を呼び掛けたりしたけれども、一向に見つかりませんので対岸に渡ることにしました。
対岸に渡ったら直ぐ出会えると思っていましたが、いつになっても見つからず、悲しさの余りお艶は精神が崩れてゆき、とうとう気が狂ってしまいました。
暫くの間、お艶は大きな岩の上に立って男の名前を呼び続けましたが、やがて利根川の本流に身を投げ亡くなってしまったそうです。
いつの頃からか、その岩は『お艶が岩』と呼ばれるようになりました。
びしょ濡れになった女性の幽霊はお艶さんが関係しているのかもしれませんね。
また、お艶さんが淀君だったというビックリするような伝説もあるとのこと。
淀君は大阪夏の陣で豊臣秀頼と共に自害したと云われるが、実は捕らえられて前橋城に連れていかれ、そこで非業の死を遂げたという内容だ。ちょっと無理筋だとは思うが、単なる伝承としては興味深い。
総社町の元景寺には淀君の墓があると云う。
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