前橋市

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武田勝頼による膳城素肌攻めとはどんな戦い?【群馬】

時は1580年(天正8)。厩橋城(前橋城)を接収した武田勝頼は伊勢崎、大胡、山上の諸城を攻め落とし、境界の巡察を命じました。武田勢は戦うつもりがなかったので、平服のまま小さな旗だけ掲げて膳城の近くに差し掛かりました。
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『前橋藩刑場跡供養塔及び道しるべ』を眺めてきた。石碑に彫られている内容を紹介するよ!

群馬県道2号線、天川大島町のすぐ近くにある前橋藩刑場跡供養塔へ!江戸時代にあった前橋藩の処刑場跡の名残である。(実際の刑場の場所はここから北に約100m離れた場所にあった。)県道2号線沿いに生える松並木。江戸時代に藩主が参勤交代に使用した江戸道の名残で、黒松の樹齢はおよそ300年だと云われている。
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大久保清の連続殺人事件が原因で心霊スポットになったと噂される敷島公園へ!

日中の敷島公園は前橋市民の憩いの場として穏やかな雰囲気に包まれています。しかし真夜中になると状況が一転!恐怖の心霊スポットに変貌してしまうらしいのです。血だらけで苦悶の表情を浮かべた女性やびしょ濡れになった女性の霊が公園付近を徘徊するとのこと…。さて、何故そんな恐ろしい噂が広まってしまったのか?
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大胡氏と大胡城の歴史について【群馬】

南北朝時代から室町時代にかけての大胡氏は不詳なことが多いです。元弘の乱で鎌倉幕府の味方をして没落したともいわれていますし、その後の足利尊氏(兄)vs足利義直(弟)の戦いで尊氏側について上野国で戦ったともいわれています。
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岩神の飛石は何で心霊スポットと噂されるのか?理由は前橋風土記に書いてあった

岩神の飛石は心霊スポットとして知られています。理由は上述した前橋風土記の内容のままです。民が『この岩は変わった色をしてとても珍しいから神様として崇めよう!』と社を建て、いたずらや悪さする人がいたので誰かが『触ると呪われて死ぬよ?』と脅しかけ、それが曰くつきの場所として伝わり現在に到ったのでしょう。
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剣聖・上泉信綱の居城だった上泉城へ【群馬】

上泉信綱は1508年に群馬県前橋市の上泉城に生まれ、1577年に奈良県の柳生谷で亡くなったとされています。生没年は諸説あります。藤原秀郷の流れを汲む大胡氏の一族、若しくは足利将軍の命で大胡氏再興のために関東へやってきた河内源氏の一色氏の流れという説もあります。信綱は祖父や父の影響で兵法書や剣術を学び成長していきます。
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赤城山頂駅と御神水の湧水地【群馬】

赤城山頂駅は1957年(昭和32)に赤城山頂と黒保根町を繋ぐ赤城登山鉄道の赤城山頂側に設置されたケーブルカーの駅です。交通の発展に従って利用者が減少したため、1968年(昭和43)に閉鎖されています。赤城山頂駅から10分ほど歩くと御神水の湧水地に着きます。