前橋市昭和町にある岩神の飛石。
江戸時代初中期(1684年)に纏められた前橋風土記にその謂れが記されている。
在于此利根川之水傍。四塊石累積。高三丈餘。廣三四十歩。石帶紫赤色。若到其下則危怖不可道。肌汗四肢不收。累石縫間。生諸木及藤蘿矣。相傳。古洪水漫天。片石山之北傍解流而止于此地。石工欲摧之而充造屋之用。忽石中有聲。如人號。膿血流走。石工四肢痲痺。兩目眩暗而倒死。故土人相尊而稱神。
前橋風土記 岩神より
この利根川の水の傍にあり。4つの塊石が積み重なる。高さ三丈(9m)ちょっと。広さ三四十歩(30~40坪?)。石は紫赤色を帯びている。
もしその下は危険で怖ろしいことが起きるので行くべきではない。身体中に汗をかき手足の自由が利かなくなる。
積み重なった石の合間に木々や藤の蔓が生じる。
代々伝わる。むかし天が荒れ洪水が起きた。片石山の北側が解け流れこの地で止まった。
石工はこれを砕いて造屋(小屋、屋根?)に充てようと欲する。たちまち石の中から声がある。人の叫びのような。石から膿血が流れ走る。
石工の手足は麻痺する。両目が暗く見えなくなり倒れて死んだ。
故に地元民は尊び神と称した。
原文は白文ではなく訓読文である。
大きな流れはこんな感じだろうが、細かい所は適当なので悪しからず。
心霊スポットとしての岩神の飛石
岩神の飛石は心霊スポットとして知られている。
理由は上述した前橋風土記を読んだらわかりますね。
といっても『石工が削ったら岩から血が出て石工が死んだ。』なんて話は現実味が無いので、当時の住民が『この岩は変わった色をしてとても珍しいから神様として崇めよう!』と社を建て、岩にいたずらや悪さする人がいた、若しくはそれを防止するため、『触ると呪われて死ぬよ?』と脅しを掛け、それが曰くつきの場所として語り継がれて来たと考えている。
岩神の飛石の正体
岩神の飛石の起源は赤城山噴火説と浅間山噴火説の2説存在する。
御神体のため、これまで詳しい調査は行われて来なかったが、2013年(平成25)~2015年(平成27)に科学的調査が初めて実施された。
調査により岩神の飛石は浅間山方面由来の岩石であるということが判明した。
2万4千年頃前に起きた浅間山の大噴火で噴出した溶岩が、前橋泥流と共に吾妻川を流れ現在の位置に定着したとの事。
終わりに
こんな大きな岩が飛んできて川伝いに流れていくのか…。
自然の力っておそろしい。
場所は以下の通り。
コメント
昔からあるからといえばそれまでですが、自然由来のものが現代の街中にドーンと残っている様に風格がありますね。
前橋城関連と一緒に回れそうな位置なのはなにげに良いです。
匿名さん
多分、神様として祀られていなかったらいつかのタイミングに退かされてしまったかもしれませんね。(物理的に無理だったのかもしれないですが)
前橋城は県庁横の跡碑しか見に行ったことないです。石垣や堀の跡も残っているみたいですね。もっと真剣に散策すればよかったと後悔しています。
あと詩人が好きなら萩原朔太郎巡りもいいですね。
ホント。こんなでっかいものがどうしてココに。って思います。
組成の分析で、50キロも離れた浅間山由来となったら余計に不思議です。
おっきい物がゴロゴロ転がったら、どっかにぶつかって割れれて小さくなっちゃうんじゃないかな~って想像してみたり、
結構埋まっているので、雪崩の表面に載っているイメージで、滑ってきたのかな~とも思いました。
地下鉄が何処から入ったのか。より難問ですよね。
上総さん
不思議石ですよね。だからこそ信仰の対象になったのでしょうね。
泥流によって流されたらしいですね。
自然が本気を出すと訳の分からないことが起きます!