1989年、大量の人骨が発掘された?!都内の有名心霊スポット・戸山公園を散策してきた!

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戸山公園

1954年(昭和29)に開園された新宿区の戸山公園。

凡そ18haの広大な園地は明治通りを隔て箱根山地区と大久保地区に分かれている。

大久保地区はスポーツセンターや広場などが設置され憩いの場として明るく賑やかな雰囲気が流れ、箱根山地区は木々に覆われたやや薄暗く穏やかで荘厳な雰囲気が感じられる。

今回は、箱根山周辺を散策して来たので風景を交えながら、その歴史について紹介しようと思う。

 

戸山公園へのアクセス

戸山公園

大久保地区に行くなら副都心線の西早稲田駅、箱根山地区ならば東西線の早稲田駅下車が良いと思う。

駐車場は無いなので、公共交通機関を利用しよう。

 

 

箱根山と戸山荘庭園

戸山公園

江戸時代、この一帯には尾張徳川家の下屋敷があり、戸山荘、戸山屋敷などと呼ばれた。

戸山荘は1669年(寛文9)に着工され元禄年間(1688~1703)に竣工された回遊式の築山林泉庭園である。

庭園の南に御殿を築き、池・築山・渓谷・町並み・社寺・田畑などを設けた。

現在の箱根山は玉円峰と呼ばれた築山で、池を掘削した際の残土を利用したものである。

 

戸山公園

尾張徳川家2代目・光友亡き後は荒廃する一方であったが、寛政年間(1789~1800)の初め徳川家11代将軍家斉の来遊をきっかけに再興された。

れい
れい

徳川家斉は庭園に訪れ”すべて天下の園地は、まさにこの荘をもって第一とすべし”と絶賛したそうよ!

その後の戸山荘は火災や水害などによって再び荒廃、半ば放置され明治時代に至った。

 

陸軍戸山学校の設置

戸山公園

1873年(明治6)、兵学寮戸山出張所が設置され、翌年に陸軍戸山学校と改称され、爾來約70年に亘って軍の研究や教育が執り行われた。

国軍精強の基を培ったばかりではなく国民の体育武道射撃音楽の向上に幾多の寄与をした記念すべき地であるこの度東京都がこの地に緑の公園を整備されるにあたってこの記念碑を建てて東京都に贈る

と石碑の裏面に刻まれていた。

玉円峰が箱根山と呼ばれるようになったのは陸軍戸山学校がこの地に来てからである。

 

戸山公園

写真は陸軍戸山学校将校集会所跡。

1950年(昭和25)に集会所跡の上部にプロテスタント系の教会が建立され現在に至る。

円形に出っ張る地下部は教会が運営する幼稚園のホールとして利用されているらしい。

いちのまる
いちのまる

戸山公園の一番の見どころはここだと思います。

今回は時間の関係上、隈なく探索できなかったが、周辺には旧陸軍に関するスポットが点在しているようなので、またの機会に訪れようかと思っている。

 

終わりに

戸山公園

戸山公園には心霊スポットの噂が流れている。

原因は1989年(平成1)に行われた発掘調査の結果にある。

箱根山の東に位置する国立予防研究所(現・国立感染症研究所)の建設現場から身元不明の35体の人骨が発見された。

2019年の読売新聞記事によると”見つかったのは少なくとも62体分の人骨”とある。

かつてこの場所には陸軍軍医学校があり、人骨は標本の一部である可能性が高いと云われている。

731部隊(関東軍防疫給水部)で知られる石井四郎中将が関係していた防疫研究室が発掘現場の周辺にあったため『人体実験の結果、埋葬(隠された)人骨ではないか?』という話題も上がった。

人骨はアジア系の人種モンゴロイドのものと推定され、ノコギリで切断されたりドリルで穴を開けられた痕跡があったが、具体的な情報は解明されていない、或いは公表されていない。

ゆう
ゆう

戦争史跡、人骨、731部隊…。
これだけ揃っていると心霊の噂が流れるのも理解出来ます。

ただ、戸山公園で人骨が発掘されたわけでは無いので『戸山公園=心霊スポット』が成り立つのか甚だ疑問が残る。

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