1185年、壇ノ浦の戦いで源氏に敗北した平家。
自ら命を絶った者、処された者、生かされた者、そして落ち延びた者。様々だった。
九州地方には平家の落人に纏わる地域が点在している。
福岡県のみやま市を流れる要川付近で追撃する源氏に平家が決死の戦いを挑んだ。
しかし満身創痍の平家が勢い付く源氏に勝てるはずもなく、敗退し散り散りになって落ち延びるしかなかった。
その内の身分の高い7名の女官が源氏の追手から逃れるため要川を遡り支流の待居川に至って滝を見つける。
追い詰められた女官たちは『最早これまで…。』と滝壺に身を投げ絶命した。
里の民衆はその死を哀れに思い、滝のすぐ近くに社を建て祀り、いつの頃からか滝を七霊の滝、社を七霊宮と呼ぶようになった。
こんな言い伝えが残っている。
この地が洪水の被害に遭ったとき濁流に飲み込まれた里人がナマズに助けられた伝説が残る。
これ以降、この地方(待居川流域)ではナマズを食さない風習が広まったと云う。
社の内の七霊の滝についての説明板。
七霊の滝(社)
平家の落武者・姫・婦人入水の滝池
文治元年三月平家壇の浦の戦いに破れ筑前より逃れ筑後に入り肥後、筑後の土豪僧徒の加担する者ある
平家は華々しく最後の決戦を試みんとて飯江川の上流要川(又の名を二又と言う)物見塚を中心に兵を配置して源氏の追撃を待ちて□□よって之を待居川と称す源氏の兵大音声を発して追い来るや平家必死に戦えども勝算なく死人の山を築く。
之平家塚となる鮮血波を立てて流れたるを以って要川を一名血波川と呼ぶ。
斬首された武士の辞世の歌に、
小萩より湯摺り出でたる要川 扇の高さ波や立つらむ
残る平家は僅かになる内六名は肥後五家荘に逃れ隠れた山間の生計に耐えかね□柳川矢留の海浜に漁業を営み生計を立て居たり。故に魚とりはじめを六騎と言う。
又この合戦のみぎり姫、婦人等は此処中春青々谷にかくれ□に源氏の急なる進撃に最早逃られざるを知り昼尚暗き深山幽谷の滝に投身入水せしと滝池に投身の之等婦人の霊は鯰に化身せり。と伝えられる。
南側にその霊を□□□に祈る。この社を七霊宮と称す。豊□□□□□□□。
□は読めなかった箇所。
終わりに
七霊の滝は心霊スポットとして知られているが、入水した女官たちは幽霊ではなく、ナマズの神様に生まれ変わったのだ!
大昔から現在に至るまで七霊宮は地元の方々によって丁重に祀られている。
そういう訳であるから心霊スポットと言うよりは神霊スポットの名が相応しいと思う。
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