世界遺産の『白川郷・五箇山の合掌造り集落』で有名な岐阜県大野郡白川村に悲運の城がある。
流れる雲は常にこの山頂に至りもと来た空に帰るという
帰り雲神社由来より
対岸の帰雲山の麓にあったことから帰雲城と名付けられた。
いちのまる
詩的な響きを持つ美しい名前ですね。
さて、ここで何があったのか?
帰雲城の悲しすぎる最後を紹介しよう。
帰雲城の場所
東海北陸自動車道・白川郷ICを下りて右折。(郡上、高山方面)
鳩谷の信号を斜め左、荻町の信号を右へ。
道なりに10分くらい進むと左手に帰雲城埋没地の看板が見えてくる。
帰雲城の悲劇
飛騨国・帰雲城主の内ヶ島氏理は敵対した羽柴秀吉と和睦し家名と所領を安堵された。
交渉から帰還した氏理は和睦成立を祝うため宴を開こうと考えた。
しかし…。
天正13年11月29日(1585)夜の11時頃、大地震が発生。
後の世に天正の大地震と呼ばれる災禍により帰雲山が大崩落。
これによって、帰雲城をはじめ、時の城主内ヶ島兵庫頭氏理(うちがしまひょうごのかみうじよし)以下一族家臣と、城下300余件、推定500人余り、牛馬にいたるまでことごとくが埋没してしまったとされています。
という訳で、帰雲城の正確な位置は未だ分かっていない。
終わりに
虚しさMAXな事件。
災害にせよ人災せよ『抵抗したところでどうにもならないこと』を知る度に私は宿命論者となる。
コメント
白川郷界隈って、周囲を山に囲まれて、
平野部に住んでいると、山また山って感じますよね。
村の集落すっぽりと、埋まってしまうなんて、なんと言葉にしてよいやら。
哀しい歴史もあるのですね。
上総 さん
岐阜や長野の山奥は山の中に山があるみたいな感じですよね。
『これから一族みんなで頑張ろう!』ってなった矢先にこれですからね。
人生…。というか生き物の儚さがよくわかる事件だと思います。