豊後大野市にある沈堕の滝。
なんだか中二病を思わせる名称を持つこの滝は『豊後のナイアガラ』や『大野のナイアガラ』と呼ばれ、同市内にある原尻の滝と共に人気観光スポットとして知られている。
沈堕の滝は古来より名瀑として愛されていたようで、江戸時代の豊後国志に『垂直分かれて十三条をなす。』と書かれ、更に遡る室町時代には水墨画家の雪舟が訪れ鎮田瀑図を描き残している。
それでは、沈堕の滝について紹介しよう。
沈堕の滝へのアクセス
国道502号線から県道26号線に入りしばらく進むと展望スポットがある。
JR豊後清川駅から徒歩50分ほどで到着するので、時間のある方は景色を眺めながらゆっくり歩きつつ目指すのも一興。
沈堕の滝へ!
展望スポットにあるオブジェクトには、沈堕の滝の説明や豊後大野市の観光スポットについて掲載されていた。
右側の柵奥に映る滝が沈堕の滝。
雪舟の鎮田瀑図
展望スポットには雪舟の鎮田瀑図の模倣図が展示されていた。
鎮田瀑図は関東大震災で焼失してしまったので現物は存在しない。
沈堕の滝の全容。
もう少し近づいてみよう。
滝までの遊歩道が完備されている。
近づくとこんな感じ。
ちょっと水量が少ないかな?大雨が降った後は迫力がありそうね!
滝の他にも見所がある。
沈堕発電所跡について
展望スポットから滝右方向を撮影すると…。
何か古風な建物が見える。
遊歩道から撮影。
もう少し近くに寄ってみよう。
中にも入れた!
なんか別世界にいるみたいだ…。
この施設は1909年(明治42)に滝を利用して造られた沈堕発電所の跡である。
発電された電気は大分、別府間の路面電車(大分交通別大線)に使用されていた。
日本の近代化を象徴する歴史的な建物だが、設置された堰の崩落防止のため滝の落水量が減らされてしまい、景観が損なわれてしまった。
滝の復活を願った地域市民たちにより、1996年(平成8)に修景工事が行われ現在の姿になった。
修復の参考にされたのは雪舟の鎮田瀑図と『垂直分かれて十三条をなす。』の言葉だったと云う。
岡藩・船着き場跡
沈堕発電所跡の先に船着き場があったそうだ。
発電所の脇を下りて行く。
途中で道が無くなり、船着き場らしき場所は見当たらない。
行けるところまで下りてみた。
立入禁止の看板は無かったが、足場が悪くかなり危険なのでおすすめはしない。
心霊スポット?!岡藩滝落しの刑場跡
展望台の直ぐ近くにある岡藩滝落しの刑場跡。
雌沈堕の滝と呼ばれているらしい。
雌沈堕の滝の上から見た様子。
この滝壺に罪人を突き落としていたようだ。
殆どの場合、水に打ち付けられて死ぬだろうが、上手く着水した者は生き残ったのではなかろうか?
岡藩にはもう一つ有名な仕置き場がある。鏡処刑場跡といい、ここではキリシタンと罪人が処刑されたと伝わる。
※追記
Twitterで岡藩滝落しの刑場跡についてコメントをいただいたので以下に引用させていただく。
沈堕の滝が処刑に使用されたのは3回だと聞いた事があります。使用基準は判決がグレーの際、滝から落とし生き残ったら無罪だったそう。 滝は岡藩の地域にあり、キリシタンの藩主の存在や城から教会の鐘が発見された事などから藩ぐるみでキリシタンを保護していたと考えられています。
Twitterコメントより
1933年(昭和8)に発行された直入郡全史にこれを裏付ける情報を見つけた。
第七節 藩政時代の刑獄
二、軽罪。死刑より罪輕きものには、譴責、禁足、一人牢、移り百姓、突落、流、追放、笞、杖、黥肆、籠舍、過料、下人被下等の種別があつた。突落は沈堕の瀧の瀧上より瀧壺に突落すのであつて瀧壺に落ち乍ら逃れ得るものは敢えて咎めず見逃しにした。
直入郡全史 第十七章 法制的事項より
やはり、運よく命を落とさなかった者は罪を許されたようである。
また『二豊小藩物語 : 江戸時代の大分県 上巻』に農民一揆の首謀者が獄門、永牢や百叩きのうえ沈堕の滝壺落としなどの刑に処されたと記されている。
終わりに
眺望、歴史、心霊となかなかに見所の多い滝であった。
コメント
>眺め、歴史
発電所跡も含めて、観光資源として申し分ないような気がします。
でも、賑わっている感じが無いですよね。
刑場としての歴史が邪魔をしているのか、PR不足なのかなぁ~。
上総さん
後日upする予定の同じ豊後大野市にある原尻の滝はかなり賑わっているんですけどね…。道の駅があるかないかの違いかもしれません。