昭和50年 群馬県境に沢入トンネル開通(延長494m)。
日光市の旧足尾町歴史年表(リンク切れ)
足尾銅山で採掘された銅は『あかがね街道』を南下し平島河岸(伊勢崎市)、後に前島河岸(太田市)から利根川を下って江戸に輸送された。
沢入トンネルの上部を通る大名峠(おおな)は交通の難所として運搬者たちを苦しめたと伝わる。また、この先にある足尾トンネルの上部には小名峠(こな)があり、これも同様であったと云う。
明治時代に入り銅の産出量が増えると渡良瀬川沿いの岩壁をコの字にくり抜いて造られた『笠松片マンプ』が開通し峠道の使用頻度が減少した。
1975年(昭和50)に沢入トンネルが開通するまでは渡良瀬川沿いに敷設された↑の旧道を通っていた。
土砂崩れで旧道は完全に塞がれている。
ふと見上げると『昭五髙崎』と書き残された岩石が目に入った。
岩石の下部は人為的に切り取られたように見える。
もしかすると文字は下に続いていたのかもしれない。
『昭五』は1930年(昭和5)、昭和50年代も考えられる。
『髙崎』は自治体、それとも会社、若しくは個人名を指しているのか?
残念ながら詳細は分からず仕舞いである。
終わりに
沢入トンネルには幽霊が出るという噂がある。
ここより大間々寄りの城下トンネルは心霊スポットとしてかなり有名だが、沢入トンネルにそのような噂があるなんて知らなかった。
女性の霊が出ると流布されているらしい。
何か根拠はあるのだろうか?
交通の難所である大名峠・小名峠。また足尾銅山が近いことが根拠になり得るか。
銅の輸送中に峠から転落死、或いは銅山の人夫が逃走し峠で力尽きた可能性も。
でも、女性の霊なんだよな…。
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