山梨県で有数の景勝地・昇仙峡。
遠い昔、平安時代の頃。蔵王権現を祀る金峰山信仰の登山道として御嶽道は拓かれ、その道中に昇仙峡はあった。
修験者たちは峻嶮な参道を歩みながらこの名勝に瞠目したのであろう。
江戸時代に入ると猪狩村の人、長田円右衛門が新道の開削に乗り出し、時を経て完成に至る。
当時の御嶽道はかなりの悪路だった。
円右衛門は参拝者や上流の村々で製炭を生業としていた人々のために立ち上がったと伝わる。
1916年(大正5)、甲府市が起点となり御嶽道路組合が設立。
1922年(大正11)に御嶽道の改修工事が開始され、1925年(大正14)12月に開通した。
この頃に国の名勝、昭和初期に『御岳昇仙峡』の名称で特別名勝に指定される。
そして現在、昇仙峡は甲府市、及び山梨県の主要な観光名所として完全整備され、多くの観光客で賑わうスポットとなった。
以上が昇仙峡の概要である。
昇仙峡が心霊スポット?!
さて、本題。
どういう訳か昇仙峡には心霊スポットの噂がある。
修験道関連の山々は『天狗が出る。』とか言われ、昔から曰く付き場所で知られていることが多い。
しかし、昇仙峡は単なる参拝道の一部なので、直接的な関係は無いと考える。
此に詣づるには山又山を搔分けて、登攀の險言語に絶した、圓右衞門は卽ち御嶽詣りの苦痛を救はんとして此の新道を開いたのである。
大正14年発行 松川二郎著 土曜から日曜より
とあるように当時の御嶽道は相当な悪路だったので、道中で転落したり、或いは野生動物に襲われたりして亡くなった人も少なからずいただろう。
とあれこれ述べてきたが、原因は全く別のところにあった。
過去の新聞を調べると昇仙峡でバスの転落事故が発生していることが判明した。
1977年(昭和52)8月11日の昼、昇仙峡グリーンラインの右カーブにおいて運転操作を誤った観光バスがガードレールを突き破り、崖を回転しながら46m下の谷底に転落。
添乗員2名、乗客は43名で『死者11名、負傷者34名』の大事故となった。
車体はぺちゃんこになり、見るに堪えない惨状だったと云う。
事故の原因は運転ミスだが、当バスの運転手は13日連続勤務の最中であり疲労困憊の状態にあった。
社会問題になったのは言う迄もない。
事故現場近くには交通安全地蔵尊が安置されている。
終わりに
ここに限らず大事故や大事件が発生した場所は漏れ無く心霊スポットになってしまう。
心情的には理解できるが、あまり褒められたものではないだろう。
無闇に怖がったり、ただ面白がったりするだけではなく、ここで何が起きたのかをしっかりと理解し、これを風化させず、二度と繰り返さないよう考えることが建設的だと私は思う。
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