猿島は神奈川県横須賀市の沖に浮かぶ無人島である。
三笠桟橋から定期船が出ているので容易にアクセス出来る。
『TRYANGLE WEB 無人島・猿島 アクセス』に詳細が書かれているので、行ってみたい方は参考にどうぞ。
釣り人やバーベキュー、海水浴の客で賑わう猿島だが、観光の目玉は何と言っても島内に点在する戦争遺構の探索であろう。
さて、本題。
心霊スポットの情報を収集するためネットサーフィングしていると猿島を心霊スポットとして紹介するサイトを幾つか発見した。
はて?何か根拠があるのだろうか?
猿島の歴史を振り返ってみよう。
猿島の由来
猿島の呼び名については、建長5年(一二五三)五月、日蓮が房州から鎌倉へ渡る途中、嵐に遭い、舟の進む方向さえわからなくなりました。
そのとき、一匹の白猿がこの島へ日蓮を案内したとの伝説によると言われています。
横須賀風物百選 猿島より
これ以前には豊島(としま)と呼ばれていたらしい。
周辺に9つの小島があり、この島を合せ10の島(十島/としま)があったことが由来していると云う。
日蓮聖人の猿島上陸は伝説の域を出ない。
島の北端には日蓮洞穴と名付けられた洞窟がある。
日蓮洞穴から貝塚が発見されており、弥生時代中期から古墳時代後期の人々が利用していたことが判明している。
貝塚からは土器、釣針、貝殻、魚や鳥の骨などが出土した。
猿島要塞
猿島は明治時代中頃から昭和初期まで東京の入口を守る東京湾要塞の一部として軍事利用された。
島内には戦争遺構が多く残されている。
散策路の両サイドには兵舎や弾薬庫、トンネルの壁沿いには二階建ての部屋が設けられている。
これらの軍事施設は愛知県産の高品質な赤レンガを使用し、フランス積と呼ばれる積み方で造られた。
フランス積みのレンガ建造物は、猿島要塞を含め全国に4件しかない貴重な建築物である。
猿島が要塞化されて間もなくフランスからカノン砲が輸入され配備されている。
時代が進み空軍の重要性が増したため、対戦艦の火砲は役に立たなくなり、軍事施設として暫く忘れ去られていたが、第二次世界大戦の末期再び防衛施設として注目されるようになった。
砲台には5基の高射砲が設置され日本本土に攻め入る米空軍に猛撃を加えたが、敗戦後に解体され砲台だけ残された。
何故、心霊スポットなのか?
猿島に出る幽霊は日本兵の形姿をしているそうだ。
太平洋戦争末期に空襲を受けて、2名戦死したという情報が残っているからだろうか?
或いは、戦争史跡が何となく不気味に感じたからという瑣末な理由から噂が生まれたのかもしれない。
事故や事件が発生した可能性も考えられるので、過去の新聞を調べることにした。
なるほど、確かに猿島に係る水難事故は数件起きていた。(詳細は割愛する。)
東岸の海水浴場は穏やかな砂浜だが、北側は岩礁地帯で波が激しく打ち寄せ、転落したらただでは済まない雰囲気はある。
といっても事故が多発しているわけではない。
終わりに
ちらほら心霊スポットの根拠となりそうな情報はあったけれど、確固たる根拠は見つからなかった。
猿島は『東京湾要塞跡【猿島砲台跡】【千代ヶ崎砲台跡】』として国の史跡に指定される歴史的に重要な遺構である。
何も恐れることはないので、純粋に猿島を楽しもう。
コメント
最後の写真のフェリーで行くのですか?
人口は、0でも、(何便か到着すれば)島内には、何百人もの人がいるかも。
大雨の被害無かったですか?
上総 さん
数年前に渡島したときは写真のフェリーでした。
無人島と謳っているので、恐らく住民はいないと思います。
あっ、でも管理人は常駐しているのかな?
私が住んでいるところはそこまでの被害はありませんでした。
ただ、畑は水没して駄目になりました。
運よく収穫が殆ど終わっていたので助かりましたが。
ざっと調べたところ、銃弾痕が残っているとかで、戦闘機の機銃掃射くらいはされたようです。
あと、憶測ですが、終戦時に自決した軍人がいた可能性はありますな
剣刀太子王 さん
しっかり調べたら情報が出てきそうですね!
大きい図書館に調べに行きたいですが、流行り病でなかなか捗りません