東京都港区高輪の泉岳寺には”忠臣蔵”で有名な浅野内匠頭、及び大石内蔵助を始めとする赤穂浪士の墓地がある。
赤穂事件を詳らかに紹介したいところであるが、曖昧で複雑な事柄故に漫然な長文記事となりかねないので割愛させていただく。
ざっくり説明すると、
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殿中での刃傷沙汰は禁忌だったため浅野内匠頭は切腹に処される。
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浅野長矩の重臣・大石内蔵助たちが吉良邸に乗り込み吉良上野介の首級を挙げる。
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大石内蔵助らが罪に問われて切腹する。
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赤穂浪士は忠義の士として後世に語り継がれる。
浅野内匠頭の御乱心の謎や主君が処されてから奔走した大石内蔵助の動向などを紹介し始めると本当に切りが無い。
また、彼らの行いを美談として扱っていいものかという思想的な問題へと発展していくので、なかなかに骨が折れる。
当記事は『赤穂事件に纏わる心霊スポットがあるんだなぁ。』くらいの気持ちで読んで頂けたらと思う。
書籍でも歴史系のサイトでも情報は溢れているので、詳細が気になる方は御自身で調べて欲しい。
首洗井戸について
赤穂浪士一向が吉良上野介の首を主君に手向ける前に、この井戸で洗ったと云う話が残る。
頓て水を汲寄上野介の首と内匠頭の墓碑とも洗ひ四方を掃除杯念を○香爐机を直し上野介の首を白き片木へ載せ墓碑の段に供へたり
赤穂義臣伝より
この井戸の水を汲み寄せて浅野内匠頭の墓石と吉良上野介の首を清め洗い流したのだろう。
国立国会図書館でたまたま赤穂義臣伝を発見したので引用したが、史実がどうだったのかはわからない。
しかし、仇の首を主君の墓の捧げたことはほぼ間違いなく、その際に大石内蔵助が上記のような振る舞いをしたとしても不思議ではない。
血染の石と血染の梅
浅野内匠頭が田村建顕邸で切腹した場所にあったとされる石と梅の木。
田村建顕は仙台藩の支藩である一関藩の藩主。
赤穂事件後、浅野内匠頭の身柄を預けられ、その後、即切腹を申し付けられたため邸宅で刑を執行する羽目になってしまった気の毒な御方なのだ。
場所は現在の新橋四丁目付近で浅野内匠頭終焉之地の石碑が建っている↓
終わりに
首洗井戸、血染の石、血染の梅を心霊スポットの根拠とするならば、現れる幽霊は浅野内匠頭と吉良上野介のお二人だろうか?もしそうであるならばこれ一大事。この二人の御霊が仲良く浮遊しているはずはない。互いに無視を決め込むか罵り合っているに違いない。
更に境内には赤穂浪士らの墓もある。吉良上野介は幽霊になってまでも彼らに追われる羽目になってしまうのか。これでは余りにも報われない。
なんて下らないことを妄想してみた。
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