千葉県富津市の青堀駅・大貫駅間に何とも珍しい名前の踏切がある。
詳細を調べずに赴いたため『そういう俗称のある踏切なのだろう。』くらいに考えていたのだが、到着して本当に驚いた。
銘板に『切られ踏切道』。まさかの正式名称だったとは。
一体、どのような由来があるのだろうか?
切られ踏切の場所
内房線・青堀駅が最寄りだが、2km以上(徒歩で25~30分程)あるので自動車での訪問をおすすめする。
青掘駅周辺には多くの古墳が点在しているので、古代史がお好きな方はゆっくり散策しながら巡るのも良いだろう。
切られ踏切の由来
余りにも気になったので、自治体に問い合わせることにした。
有難いことに情報を頂けたので、要約して紹介しよう。
江戸時代、この辺りは飯野に陣屋を置いた保科氏によって治められていた。
飯野陣屋から西に凡そ1kmの位置にある『切られ踏切』付近は飯野藩の処刑場跡だったという言い伝えが残る。
明治・大正生まれの地元の方々はここに刑場があったと口伝で聞き及んでいたようだ。
また、飯野藩の家老の御子孫が曰く『踏切の近くに1870年(明治3)に処刑された罪人の石塔が建っていたと思うが、そこが資材置場として利用されているうちに石塔が撤去されてしまった。』との事。
この場所を地元の方々は『切られ場』と呼んだ。
1915年(大正4)頃、ここに鉄道が開通し踏切が設置されたため俗称地名に因んで『切られ踏切』と呼ばれるようになったのかもしれない。
これを裏付ける史料は一切残っていない。
終わりに
接触や脱線の事故が原因で心霊の噂が流れる踏切が殆どであるけれど、ここは違った。
正式な文書が残存していないために刑場の存否は不詳であるが、伝聞が踏切の名前で残ったのは、とても面白い。
命名者がご存命であるならば『なぜこんなにも直接的な名前にしたのですか?』と小1時間問い詰めたい心持ちである。
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