長野県伊那市高遠町にある白山トンネル。
名称:白山トンネル
開通:1989年
延長:600m
巾:7.5m
高さ:4.7m
このトンネルには心霊スポットの噂が流れている。
どうやら全く根拠がないというわけではなさそうだ。
ちょっと調べてみたので紹介しよう。
1.お膳岩の伝説
白山トンネル南坑門のすぐ横に『お膳岩』と呼ばれる巨岩がある。
この岩の由来が現地の案内板に書かれていたので引用する。
この巨大な岩石は、お膳岩また、大岩・膳椀石とも呼び、古い言い伝えが残っている。
昔、勝間地区の農家で結婚式とか葬式など、人寄りの行事があった時に使う膳椀を、その前夜にこの石の前へ来てお願いしておけば、翌朝必ずその数だけの膳椀を用意してくれたものだと言われている。
ところが、心無い人がいて一つや二つ返さなくてもわからないだろうと、横着を決め込んでしまった。そうしたことに味を占め、二人三人と真似をして横着をしたため、お膳岩は、とうとう腹をたて、その後はいくら頼んでも貸してくれなかったということである。
現地案内板より
古い書物を確認したところ、案内板とは少しばかり趣きの異なる説明がされていた。
巨岩の傍には透き通った小さな池。ここは村人から霊場として崇められていました。行事に使う膳や椀を祈願すると、次の日に必ず池に浮かんでいたと云います。使用後は池にお返しする習わしがあって村人は律儀に守っていました。
しかし、たくさんの膳椀を借り出したのに返さない愚か者が現れました。それ以来、池の水は濁り一切の反応を示さなくなってしまいました。そして、愚か者の家族には不幸が訪れ、その家はもう滅びてしまったと伝わります。
お膳岩の施しに対して不義理をした人間とその家族が祟りにあったという内容だ。
これは幽霊ではなく神さまの類だと思うが、祟りは心霊スポットの根拠として説得力があるかと思う。
ちなみに池は埋め立てられて畑になっている。
2.仁科盛信と五郎山
白山トンネルから南西500m程の距離に五郎山と呼ばれる山がある。
『五郎』は武田信玄の五男として生まれた仁科盛信のこと。信玄死後は異母兄弟の武田勝頼に仕えた。織田・徳川軍による甲州征伐では、離反する親族や家臣が多発するなか、高遠城に籠城して最期まで忠義を貫いた。織田信忠率いる大軍に相手に奮戦するものの多勢に無勢。籠城兵は玉砕。盛信も敗死した。
戦いの後、地元の住民が盛信やその家臣の遺体を火葬し、この山に埋めたという。
麓から一郎山(高遠城諸士の墓)、ニ郎山(諏訪はなの墓)、三郎山(渡辺金太夫の墓)、四郎山(小山田備中の墓)、そして頂上の五郎山(仁科盛信の祠)と並べて御霊が弔われている。
オカルト界隈では、こういった話も幽霊の噂の種になったりする。
3.高遠藩の刑場があった?
トンネルの近くに刑場が存在したという噂がある。
高遠藩の刑場はあったようだが、正確な位置まではわからない。
九、牢屋敷
梅町の西裏にあって、表十八間裏行十四間の敷地内に、牢獄・処刑場・役宅・その他の建物もあり、責道具なども備えてあった。
北村勝雄 著 高遠城と藩学 元禄頃の町の姿より
梅町は当時『せり町』と呼ばれていた。『せり町』の南端に競り場があったらしい。駒競り場跡(馬を売買した場所)のある辺りだろうか。
駒競り場跡には髭題目と六道法界萬霊位の石碑。その直ぐ近くに延命地蔵が安置されているが……。これらは刑場と無縁なものでないから少し気になった。
ただ、駒競り場跡と白山トンネルは少し離れているので、仮に刑場の存在が事実であったとしても幽霊の噂をトンネルと結び付けるのはちょっと無理があるかもしれない。
終わりに
お膳岩の上に祠のようなものが置かれている。随分年季が入っていた。
お膳岩を幽霊の根拠とするならば心霊よりは神聖という言葉が相応しい気がする。
負の印象(心霊)よりは正の印象(神霊)が広まったほうが何かといいと思うので、私は神を推したいです。
まぁ、幽霊も神様ほとんど信じていない私からしたら、正直なところどっちでもいいのですが。
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