東洋のエル・ドラードと呼ばれ多くの人々で賑わいを見せた鯛生金山。
全盛期には日本全国から約3000人の労働者が集い、周辺には病院・小学校・飲食店・配給所などが建ち並び活気ある鉱山町が形成された。
第二次世界大戦の影響を受け労働者が徴兵され金の産出量が減少している。
戦後に再び操業開始されたが、新しい鉱脈が掘り当てられず1972年(昭和47年)に閉山。
現在は地底博物館として坑内の様子や当時の採掘方法を観覧することが出来る。
鯛生金山の風景
扁額の右読みが歴史を感じさせる。
主坑道の上には『一棒一条痕 昭和九年十一月』と彫られていた。
現代人が堂々とこんなこと言ったら炎上するだろうね!
人間が掘った洞窟なので鍾乳洞のような神秘的な雰囲気はない。
私の祖父は栃木県の足尾銅山で大工として働いていたため、鉱山についての話を屡々耳にした。
『貧乏な日本人、どこから連れてこられたかわからない朝鮮人や中国人が過酷な環境の中で働いていた。サイレンが鳴ると今日も落石事故で人が死んだんだなと想像した。』
こんな感じの話だ。
ここはどうだったのだろうか。
金山入口の昔の写真
右側の外国人は鯛生金山株式会社(TAIO GOLD MINESCO.Ltd.)の経営者のハンス・ハンター。
彼は1918年(大正7年)から1925年(大正14年)まで経営を務め鯛生金山に近代的な設備を導入した。
彼らの懐は潤っただろうが、労働者はどうだったのだろうか?
ゾッとする、竪穴の様子
何百メートルの深さの竪穴から幾つもの坑道が掘られいる。
ここから200m下に水面があり、水面の下は310mの水深があると云う。
この様な竪穴が5~6本ある。
巻上機が主坑道に設置され地下で集められた金鉱石を吊り上げ運ばれていた。
この中に入って仕事をしていたかと思うと、ゾッとする。
鉱山内に焼酎の貯蔵庫?!黄金浪漫
黄金浪漫という名の麦焼酎。
この焼酎を陶器に入れて貯蔵することで、生きている焼酎に酸素を取り入れることができ、陶器が遠赤外線を放射し、まろやかに熟成させるといわれています。(中略)おいしく熟成させるには、光の当たらない高湿度で温度の一定の所で貯蔵するのが理想です。まさにこの条件を満たす場所が鯛生金山の坑内なのです。
鯛生金山 黄金浪漫説明板より
とのこと。
ゴクリ…。一度でいいから飲んでみたい。
鯛生イルミネーション!
殺風景な坑内から一転してこの風景が表れたので驚いた!
純粋に『きれいだなぁ』と思った。
こういう趣向も悪くない。
鯛尾金山の山神社
初期採鉱ゾーンの途中にある山神社。
安全祈願、家内安泰、縁結びのご利益があるらしい。
安全祈願 当時より金山採掘の無事を祈り、山の安全を願掛けてきました。
家内安泰 坑夫が無事に帰宅することが平穏無事につながりました。
縁結び 婚礼の際、オス・メス二匹の鯛が撥ね、石に張り付き、鯛が生まれ変わった石として鯛生と言われるようになりました。
山神社 説明板より
24金の鯛!
以前は24金の鯛が展示してあったが、2006年に右の鯛が盗難にあったため移転されている。
犯人は捕まったものの一匹の鯛は戻ってこなかった。
一匹おいくらなのだろうか?
終わりに
情報は少ないものの鯛生金山には心霊スポットの噂がある。
鉱山系の心霊スポットは『落盤事故や粉塵による病気で亡くなった人々』の霊が云々と云われることが多い。
どれだけの人夫が亡くなったのかは不明だが、鯛生金山も例外ではないだろう。
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