栃木県宇都宮市内にある首切り地蔵へ!
土堂原地蔵堂と書かれた真新しい石碑、無数の地蔵と念仏供養塔、そしてお堂の中には『享保八年 首切地蔵』と彫られた地蔵尊が安置されている。
ここは宇都宮藩の処刑場があった場所である。
どのような歴史のある刑場跡なのか調べてみた。
土堂原刑場について
1619年(元和5)、宇都宮藩主となった本多正純。
譜代大名としての威厳を保つためか、正純は猛スピードで宇都宮城の大改修を始めた。
三の丸の前に巨大な三日月堀を設けようと、幕府から預かっていた根来組同心に工事の命を下したのだが、根来組同心はこれに反発した。
1621年(元和7)、怒った正純は彼らを皆殺しにしたと云う。(首謀者だけという説もあるらしい)
その処刑場がここ土堂原刑場であった。
いずれ紹介するが、同市にある白山神社には3つの塚があり、それらは根来組同心の屍が埋められた場所と伝わる。
終わりに
根来組同心だけではなく、一般の罪人も処刑されていた。
重犯罪者の処罰に実行される獄門、磔、火刑などの処刑が行われていたようだ。
刑場の歴史を調査しているホームページ『江戸時代の刑罰施設(閉鎖)』で土堂原刑場についての歴史が詳しく紹介されているので、気になる方は是非読んで頂きたい。
いちのまる
刑場系心霊スポットを調べる時、ほぼ間違いなく参考にするサイトです!
※残念ながら江戸時代の刑罰施設は閉鎖されてしまったようです。
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