東京都荒川区の浄正寺の聖観音像。
昭和中期に起きた国鉄の列車脱線衝突事故の犠牲者を弔うために建立された観音像である。
三河島事故とは、どのような事故だったのだろうか?詳しく見ていこう。
三河島事故について
1962年(昭和37)5月3日、時刻は21時30分過ぎ。
・第一の事故
水戸行きの下り貨物列車①が赤信号を見逃しオーバーラン。
安全側線に入ったが脱線、車体が傾く。
※安全側線とは衝突防止のために設けられた緊急回避のための側線のこと。
・第二の事故
取手行き下り列車②が客を乗せ三河島駅を発車。
発車して間もなく傾いた貨物列車①に時速40km程で衝突、前2両が脱線。
25名が負傷した。
非常時の脱出ドアから次々と乗客が降り始め三河島駅へ向かって線路を歩き出す。
上り線を停めるための信号は出されたが、既に上り列車③は信号を通過した後であった。
・第三の事故
上野行きの上り列車③の車掌は異変に気付き急ブレーキをかけたが、間に合わず線路上の避難客を次々と跳ね飛ばし、取手行きの列車に衝突。
列車③の先頭車両は粉砕、2両目から4両目が線路下に転落。
列車②もかなり酷い損傷を受けた。
この事故による犠牲者は死者160名、負傷者296名に上った。
かなりざっくりですが、こんな感じの事故です。
もっと詳しく知りたい方は↓のサイトで紹介されているのでどうぞ!
終わりに
原形を留めていない列車と圧死者。跳ね飛ばされバラバラになった轢死者。夜陰の軌道には惨憺たる光景が広がっていたのだろう。
私は事件や事故、災害などの歴史にとても興味がある。これらを調べているとどうしても凄惨な写真や映像に行き当たる。
かたや俺は電子の砂漠で死体を見て、呟くんすわ
it’a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。
『2ちゃんねるで有名なコピペ』より一部引用
みたいな感じでイヤなんだが、そういう現実に見入ってしまうのは何故なのか。
毎回思うのである。『幽霊なんかより、リアルの方が怖ぇよ……』と。
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