いわき市の高野不動尊(内郷の水子)について

願成寺山の坊 不動堂

以前、紹介した福島県いわき市の不動山トンネルの上部にある高野不動尊。

いわき市の観光サイトでは『願成寺高野山不動尊遍照光院』と紹介されているので、それが正式名称だと思われる。願成寺は国宝・白水阿弥陀堂を所有する真言宗の寺院である。1966年(昭和41)発行の『内郷市の歴史』に遍照光院の謂れが記載されていたので引用しよう。

純瑜僧正の墓のある旧遍照光院は、現在廃寺となっており、僅かに不動堂、昭和再建の八角堂及び供養碑群があるにすぎない。往昔は磐城の高野山と称された程盛んな寺院で、御朱印五石を受け、本山薬王寺の閑居寺として由緒ある寺院だった。

内郷市の歴史 ◎史跡 純瑜僧正の墓より

寺院の規律を記した古文書から遍照光院の創建時期は天正年間(1573~1592)ではないかと考えられている。

『純瑜僧正』の『瑜』の字は、書籍だと右下の『くく』の部分が『りっとう』になっている。変換できなかったため代わりに『瑜』を使用した。

願成寺山の坊 不動堂

↑の写真の香炉と花立の左隣が純瑜僧正の墓石。

純瑜僧正の墓は、元入山専用線の第一トンネルの上の山で、旧遍照光院の境内にある。

(中略)

表面中央に『純瑜僧正』右に『天正十年壬午』左に『六月十九日寂と陰刻してある。』

内郷市の歴史 ◎史跡 純瑜僧正の墓より

『元入山専用線の第一トンネル』は現在の不動山トンネルのことだろうか。

純瑜僧正は1521年(大永1)に平市草野馬目(現在のいわき市平馬目か?)で生まれたと伝わる。僧侶となり各地を行脚したのち、延寿山薬王寺の住職になった。1582年(天正10)6月19日に63歳で入寂。遍照光院に埋葬された。

 

終わりに

願成寺山の坊 不動堂

不動堂まで至るつづら折りにはたくさんの地蔵尊が祀られている。

はっきりとした情報はないが、お堂の広場に水子地蔵菩薩が安置されていたので、つづら折りの地蔵尊も水子供養に由来するものだろう。どうしても理解に苦しむのだけれども、水子の霊場は心霊スポットの噂が立ちやすい。

ここもそうで、しょうもない噂が流れている。

私のサイトの性質上、紹介せざるを得ないが『なんだかなぁ……』と思う今日この頃。だんだんと心霊スポットの存在を否定する立場になっているような気がする。

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