福岡県の志賀島にある蒙古塚(蒙古軍供養塔)。
かつては首切塚とも呼ばれていたらしい。
上2行にあるキーワードから何が起こった場所か察していただけるとは思うが、その歴史から曰く付きの場所として知られている。
蒙古塚へのアクセス
志賀島は陸繋島なので自動車の通行可。
福岡都市高速の香椎浜ランプで下り、海の中道を目指す。
海の中道までやや複雑なのでカーナビやgoogleのナビに頼ろう。
志賀島に着けば案内板があるので迷うことは無いと思う。
島内の道路は狭いので運転気を付けて!
蒙古塚の歴史
蒙古塚のある志賀島は日本に来襲した蒙古軍(モンゴル軍)と鎌倉武者が争いを繰り広げた古戦場であった。
九州北部で2度発生したこの合戦を総称して元寇と呼び、それぞれ1274年(文永11)の戦いを文永の役、1281年(弘安4)の戦いを弘安の役という。
鎌倉幕府第8代目執権、北条時宗の時代である。
日本と韓国の間に浮かぶ対馬や壱岐は侵略され島民は残虐な仕打ちを受けた。
その後、博多湾に攻め込んだモンゴル軍は志賀島にも攻撃を加え一時的に支配している。
日本軍は苦戦を強いられたものの天候にも恵まれ(諸説あり)モンゴル軍の撃退に成功した。
御家人や地方豪族の活躍があっての勝利だったが、この戦いによって幕府が得たものは無く、彼らは活躍に見合った恩賞を授けられなかったため大いに不満を募らせた。
これが鎌倉幕府の滅亡に繋がっていく。
慰霊塔の歴史はそれ程古くなく、戦いで亡くなった蒙古軍を弔うため日蓮宗の僧侶の提唱で1927年(昭和2)に建立された。
『何故、モンゴルを?』と疑問に思ったけれど、たぶん日本軍の供養塔はいくらでもあるのだろうと勝手に納得した次第である。
何故、心霊スポットなのか?
答えは古戦場だからである。
見慣れない文字や記号の彫られた石碑があってとても興味深い。
どんな意味が込められているのだろうか?
蒙古軍供養塔碑銘
・南無妙法蓮華経
日蓮宗管長大僧正 酒井日慎 表 中央
・蒙古軍供養塔
陸軍大将男爵 田中義一 題目下
・願以此功徳 普及於一切 我等與衆生 皆共成佛道
元帥海軍大将伯爵 東郷平八郎 題目脇 右左
・昭和二年五月十五日
陸軍中将 白水淡 左側面
蒙古塚供養塔 背面より
これはメインの供養塔に記されている文言。
『この功徳でみんな一緒に悟りを開けますように』的な意味である。
東郷平八郎の揮毫だそうだ。
終わりに
九州北部には元寇に関する史跡が多く見られる。
天智天皇の時代の古代山城、モンゴルの襲来、キリスト教の伝播などなど、外国との距離が近いだけあって本州とは異なった歴史の面白みがある。
また是非、九州の歴史を愛でる旅に出掛けたいものである。
コメント