清水観音宝地院の境内にある清水の滝。
滝壺の傍に倉永節士清雄之碑と誠感碑と呼ばれる石碑があります。
ここで亡くなったとされる倉永清雄と下村芳充を偲んで建立されたものです。
それでは清水の滝、及び二つの石碑について見ていきましょう。
清水の滝へのアクセス
長崎自動車道の小城スマートIC(ETC専用出口)を下りると青看板に清水の滝への案内が表示されています。
ICを下りて5分くらいの距離にあります。
清水の滝の風景
滝はこんな感じです。
ここでは滝行が行われているようですが、訪問した時期は雨が少なく水量弱く、やさしくサラサラと流れる修行場らしからぬ滝でした。
倉永清雄について
倉永清雄は佐賀藩主6代目・鍋島宗教に仕えた人物です。
重病を患った鍋島宗教の平癒を願い数週間の断食を決行。みぞれが降る極寒のなか清水の滝に打たれ凍死したと伝えられています。
1740年(元文5年)1月28日のことでした。
鍋島宗教は1780年(安永9年)に63歳で亡くなっているので倉永清雄の決死の祈願は天に届いたのかもしれません。
下村芳充について
佐賀藩士の下村芳充は1832年(天保3年)3月、父親の快癒を願い滝に打たれて凍死しました。
年齢は26歳だったそうです。
倉永清雄の前例があったので苦行に身を投じたのでしょうか。その後、父親がどうなったのかはわかりません。
一枚目写真の左の石碑が下村芳充について記された誠感碑だと思いますが、何が書かれているのかさっぱりわかりませんでした。お題と撰文は下村と縁のある佐野常民によるものです。
他者のために盲目に命を奉仕する精神は強靭な人間を造り上げます。
私はそんな人々を見ながら尊いと思いつつ、冷たい眼差しを向けるのです。
終わりに
ネットで清水の滝を調べると心霊スポットとして紹介しているサイトがあります。
二人の物語に尾鰭が付いて曰くつきの場所になってしまったのでしょうか?
霊界の事情がどうなっているのかは知りませんが、彼らのように強い意志を持って命を賭した人間が悪霊となってこの世を彷徨うとは考えたくありません。むしろ滝を見守る守護神として彼らを敬う方がよい気がします。
もしそうであるならば、怯える必要はないでしょう。
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