華厳の滝が心霊スポットになった理由。藤村操と巌頭之感について

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華厳の滝

華厳の滝は全国的に有名な心霊スポットである。

よく語られる霊現象は『滝壺に誘われるかのように飛び降りてしまう。』『心霊写真がよく映る。』といった感じ。

この原因を作ったのは明治期にここから投身をした藤村操。

彼と最後に残した『巌頭之感』ついて調べてみたのでご紹介しよう。

 

華厳の滝へのアクセス

日光宇都宮道路の清滝IC(終点)を下り国道120号線を中禅寺湖方面へ進めば到着する。

群馬県の桐生、大間々方面からなら国道122号線をひたすら進み細谷大滝橋のT字路を左折すると国道120号線に出る。

紅葉期に行くと恐ろしく渋滞するので要注意!

藤村操と華厳の滝

藤村操は1876年(明治19)7月20日に誕生し、1903年(明治36)5月22日、ここ華厳の滝にて投身自殺した。

所謂エリートで国の発展を担う若者を育てるために建てられた第一高等学校に入学。

生きていたならば政界、財界、学会などの国中枢を動かす仕事をしていたかもしれない。

陰々滅々な性格ではなく快活。温和な性格で人間関係は円滑であった。

読書を好んでよく図書館に通っていたようだが、自殺前は図書館に行かず、芝生でただただ横になって考え事をしていたと伝わる。

5月21日に東京上野から列車に乗り最後の旅に。

家族に宛てた遺書には『浮世は是悉く涙なり』と最期を結んだものが残存している。

『人生は総じて虚しく悲しいものだ。』と言ったところだろうか?

5月22日、日光の旅館でビールを少々と鶏卵を食し服装を整え華厳の滝へ。

ここを死地と定め、永劫の旅へと赴く。

巨岩に刺さる蝙蝠傘と巨木に彫られた巌頭之感。

硯と墨、唐筆にナイフ。他のものは全て燃やされていた。

友人に宛てた絶筆が残る。

宇宙の原本議 人生の第一議

不肖の僕には到底解きえぬ事と斷念め候程に、敗軍の戰士本陣に退かんずるにて候。

宇宙の本当の意味。人生の一番の意味。未熟な僕には到底わからないこととあきらめました。敗けた軍の兵士は本陣に退けないのである。

エリートの厭世主義的な自殺。当時は世間を驚かせ、あと追う者が続出した。

彼の死後4年間、華厳の滝では185名(未遂も含む)の自殺者が出た。

それゆえ自殺の名所、また曰く付きの場所として見られるようになってしまった。

下記の引用文は自殺前に彫った巌頭之感と呼ばれる遺書のようなものである。

巌頭之感

悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、

五尺の小躯を以て此大をはからむとす、

ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ、

萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」、

我この恨を懐いて煩悶終に死を決す(るに至る)

既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし、

始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。

新聞集成明治編年史. 第十二卷より引用

読みは↓

がんとうのかん
ゆうゆうたるかなてんじょう、りょうりょうたるかなここん、
ごしゃくのしょうくをもってこれだいをはからむとす、
ほれーしょのてつがくついになんらのおーそりちぃーをあたいするものぞ。
ばんゆうのしんそうはいまだいちごんにしてつくす、いわく、「ふかかい」、
われこのうらみをいだいてはんもん、ついにしをけっす(るにいたる)
すでにがんとうにたつにおよんで、きょうちゅうなんらのふあんあるなし、
はじめてしる、おおいなるひかんはおおいなるらっかんにいっちするを。

意味はこのような感じ↓

岩の上で感じた。
果てしなく続く天と地、遥かに離れている現在と過去。
150cmの小さな体でこれの大きさを測ってみようとする。
ホレーショの哲学になんの権威もない。
すべての真相は一言につきる、「不可解」だ。
私は恨みを抱いて悩み苦しみ、ついに死ぬことに決めた。
いま岩の上に立ってみたが、心には何か不安があるか、いやない。始めて知った。
とてつもない悲観はとてつもない楽観と同じなんだなと。
いちのまる
いちのまる

何もかもわかんねぇから、取り敢えず死んでみよう。みたいな感じなのかな?

れい
れい

死が不可解な宇宙を紐解く結果になるかもだしね!

ゆう
ゆう

最悪、先に何も無くても不可解から逃れられるなら…。

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終わりに

華厳の滝

華厳の滝を撮影すると幽霊が映り込むとまことしやかに語られている。

滝や岩が顔のように見える写真が撮れるらしい。

複雑な岩塊や生い茂る木々によって見せられるシミュラクラ現象だと思うが…。

写真は滝で販売していたヤマメ。とても美味しかった。

コメント

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