日光市

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憾満ヶ淵を歩く!並び地蔵が化け地蔵と呼ばれる理由

『憾満(かんまん)』の由来は、不動明王の真言・火界咒の最後の句『かんまん』であり、名付け親はこの地と縁の深い晃海大僧正。かつては巨石の上に高さ2mの不動明王が安置されていた。憾満ヶ淵に心霊スポットの噂があるのは、並び地蔵に化け地蔵などと言う二つ名があるからだろう。
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ガラス張りの廃墟、ホテル・ファミテックへ行ってきた

栃木県日光市にあるホテル・ファミテック。ガラス張りの建物で所々が無残に砕かれた何とも異様な容貌を持つ廃ホテルである。現在は企業(恐らく中古車業者)によって管理されている。当然、立入禁止。不法侵入しても碌な目に遭わないので"よいこのみんな"は外から眺めるだけで我慢しよう。
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鬼怒川温泉の老舗旅館・きぬ川館本店へ!

きぬ川館本店は持ち主と連絡が付かず完全に放置されている。解体費用は6億円に上ると云う。鬼怒川温泉にはこのような廃墟が点在している。『一般の観光客が鬼怒川へ訪れ、これを眺めてどう思うだろうか?』 これを見て喜ぶのは私を含めた一部の界隈の変わり者だけである。
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日光の廃墟系心霊スポット・ウェスタン村の今

2005年時点の園内マップがWayBackMachineで発見出来たので引用する。前身は『鬼怒川ファミリー牧場』という。1973年から1982年まではその名で運営され、その後ウェスタン村と改称。2006年に閉園したので開園期間はおよそ33年になる。
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鞍掛山を登る!老夫婦の霊が出ると噂される心霊スポット?

栃木県宇都宮市と日光市に跨る鞍掛山へ!馬の鞍のような外観をしていることから鞍掛山と呼ばれているそうだ。以前紹介した鞍掛峠の道祖神と同じくここにも心霊スポットの噂がある。どのような謂れのある山なのか?登山してきたので、まずは鞍掛山の風景を紹介しよう。
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参拝!!鞍掛峠の道祖神は『あれ』の形していた

鞍掛峠には心霊スポットより興味深い史跡が残されている。鞍掛峠の道祖神である。道祖神は峠や村境などに安置された魔除けの神様のことを言い、賽の神・道陸神などの別称もある。疫病や悪霊から村を守るため集落の人々は道祖神を大切にした。守護神の役割だけでなく交通安全、子孫繁栄などの想いを込めて建立されたと云う。
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足尾銅山の歴史をざっくりと紹介!最後にちょっと心霊の話を添えて

足尾銅山で本格的に銅が採掘されるようになったのは江戸時代の初期だと云われている。1610年(慶長15)、露出した銅が発見されて以降、幕府の代官所が足尾に置かれた。幕府は足尾から平塚河岸(現・伊勢崎市)を繋ぐ銅山街道を設け、利根川を利用して銅を運んだ。足尾銅山には心霊スポットの噂がある。
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六方沢橋が心霊スポットとされる理由は?まあ、この高さなら……。

日光・霧降高原の奥深い谷に架かる六方沢橋!1976年(昭和51)に架設された逆ローゼ橋で、長さは320m、谷底までの高さは約135mもある。橋の袂から見下ろすと丹田から口蓋に向けて魂が『ヒュン!!!』と抜け出すような感覚に陥る高さだ。高所恐怖症の方は通るのも厳しいのではないだろうか?
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奥日光三名瀑の一角・竜頭の滝へ。遅くに訪問したので殆ど滝の風景はありません!

華厳の滝、湯滝と共に奥日光三名瀑の一つに数えられている竜頭の滝。湯本に行く途中に在り飛流岩に湍る數十囘にして瀧下に達す其水㔟自ら龍頭の如し故に名くと謂ふ。明治15年8月25日発行 新撰日光山誌『龍頭滝』より。ざっくり言えば、流れ落ちる様が竜の頭に見えるから『竜頭の滝』と名付けられたということ。
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ほんとに心霊スポット?!日光と足尾を繋ぐ日足トンネルを眺めて

日光と足尾を繋ぐ2765mの日足トンネル。1973年着工。1976年に完成し、1978年に開通した。それまで、日光・足尾間は交通の難所である細尾峠を越えなければならなかった。足尾から群馬に抜ける足尾線(わたらせ渓谷鉄道)が敷設されるまで、足尾銅山で採掘された銅は細尾峠を越えて輸送されていたと云う。
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日光・中禅寺湖へ!神聖な湖上に導かれる願望者たち

中禅寺湖は男体山が噴火した際に出来た堰止湖であり、華厳の滝の源流に当たる。華厳の滝が自殺の名所であることは前述した通りだが、中禅寺湖も似たような事情があるようだ。漢方医学余談が発行されたのは1929年(昭和4)。この時点で華厳の滝だけではなく中禅寺湖でもそれなりの数の自殺があったことがわかる。
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戦場ヶ原が心霊スポットってホント?!ここは戦場だったのかしら?

戦場ヶ原は標高約1400mの平坦地に広がる湿原で、男体山、太郎山、大真名子、外山、温泉ヶ岳などの山々に囲まれ、南には日光の名所・中禅寺湖や華厳の滝がある。名前の響きのせいだろうか?戦場ヶ原には心霊スポットの噂がある。『武者の霊が出た!』と言う人がいたが、神話上の戦場であり人間同士が争った歴史はない。
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華厳の滝が心霊スポットになった理由。藤村操と巌頭之感について

藤村操は明治19年に誕生し、明治36年にここ華厳の滝にて自殺した人物です。所謂エリートで国の発展を担う若者を育てるために建てられた第一高等学校に入学しました。生きていたならば国の中枢を動かす仕事をしていたかもしれません。陰々滅々な性格ではなく快活で人間関係は円滑で温良な性格だったといわれています。