日光・中禅寺湖へ!神聖な湖上に導かれる願望者たち

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中禅寺湖

1903年(明治36)、藤村操は巌頭之感を残し日光・華厳の滝から身を投じた。

それ以来、彼を追うように願望者らが次々と身投げし、いつしか自殺の名所として広く知られるようになった。

自殺の名所はその性質から例外なく曰く付きの場所、今で言う心霊スポットとして扱われてしまう。

四、中禅寺湖で死ぬ人

華嚴で死ぬ者には男性が多いが中禅寺湖で死ぬ者は、女性が多い。そして舟を漕いで湖の沖へ出る人ほど、死を强く決心し、且つ度胸が良い人されてゐる。嚴頭では遺書を殘さぬ人も相當にあるが、中禅寺湖で死ぬ人達は、十人が十人まで遺書を殘し、且つ嚴頭の遺書は文章が簡單なのが多く、湖畔のものは文章が長いのが多い。

中山忠直 著 漢方医学余談より

著作家、詩人、漢方医学者として活躍した中山忠直の『漢方医学余談』の一説である。

中禅寺湖は男体山が噴火した際に出来た堰止湖であり、華厳の滝の源流に当たる。

華厳の滝が自殺の名所であることは前述した通りだが、中禅寺湖も似たような事情があるようだ。

漢方医学余談が発行されたのは1929年(昭和4)。

この時点で華厳の滝だけではなく中禅寺湖でもそれなりの数の自殺があったことがわかる。

実際、どれ程の件数に上るのか?

気になったので、過去の新聞を漁ってみた。

・1918年(大正7)10月新聞、令嬢が中禅寺湖に投身
・1930年(昭和5)8月新聞、東京の人間が華厳の滝と中禅寺湖で自殺
・1932年(昭和7)6月新聞、楽士の妻が妹と中禅寺湖で心中
・1934年(昭和9)4月新聞、中禅寺湖で心中を図る
・1935年(昭和10)8月新聞、中禅寺湖で投身
・1936年(昭和11)6月新聞、逓信練習生の自殺
・1936年(昭和11)10月新聞、失踪した社長?中禅寺湖に遺体が沈む
・1936年(昭和11)11月新聞、女性が中禅寺湖に飛び込む
・1953年(昭和28)7月新聞、保安隊員の自殺
・1989年(平成元年)2月新聞、身元不明の女性死体が発見
・1994年(平成6)4月新聞、女性の遺体発見
・1994年(平成6)7月2日新聞、女性の遺体発見
・1994年(平成6)7月26日新聞、女性の遺体発見
・1997年(平成9)10月新聞、男女の心中
・2005年(平成17)3月新聞、男女4名が練炭自殺(周辺の駐車場)
・2017年(平成29)9月新聞、湖畔で女性の遺体が見つかる
・2019年(令和元年)12月、男女3名が練炭自殺(周辺の駐車場)
ゆう
ゆう

全部が全部亡くなっているとは限らないかも。
あと、少し離れた場所で発生した事件も混じっています。

れい
れい

にしても予想以上の調査結果だった…。
たぶん、探しきれなかっただけでもっと事故や事件が起きているはず。

また、中禅寺湖付近で凶悪な殺人事件も発生している。

1946年(昭和21)5月4日に発生した強盗放火殺人事件・日光中宮祠事件である。
旅館から出火し、経営者の親族6名が焼死体となり発見された。
初めは一家心中として捜査が打ち切られたが、後に当時宿泊していた在日朝鮮人2名が一家6名を刺殺した後、火を付け逃亡したと判明した。
逮捕された2名は1974年(昭和49)に処刑された。
松本清張がこの事件を題材にした小説を書いている。またテレビドラマにもなった。
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終わりに

この湖畔を歩いてすつかり詩的になり、まだ十分に死なうとも何とも決心がついて居ない時、湖畔の旅館から三味線の音などが聞えて來ると、その音にたまらなくなつて水に飛び込むことがあるそうである。

(中略)

吉原で新内を禁じた時代もあつたと云ふが、湖畔で三味線の音を聞く時に、しみじみと死の誘惑を感ずると云つても良いのである。

中山忠直 著 漢方医学余談より

華厳の滝と合わせると相当数の人間がこの地で命を落としていることが判った。

大昔から日光は神聖な土地であり、嘗ては我々凡夫が気軽に入れるような場所ではなかった。

聖域に踏み込んでしまった私たち。何が彼らを招き、導いているのだろうか?

コメント

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